ノは、二つは必ずしも同じ内容を云い表わす言葉ではない。大体の傾向乃至習慣に就いて云う限り、ブルジョア哲学の伝統では、科学方法論[#「科学方法論」に傍点]の方は主として経験的諸科学(数学も之に加えてよいが)に特有な学術研究方法に就いての理論を指すが、之に反して、方法論[#「方法論」に傍点]の方は、より一般的に又はより抽象的に、認識一般の方法を論じる場合を指すことが多い。前者が云わば認識論[#「認識論」に傍点](ブルジョア哲学に於ては之は諸科学の科学的認識の根柢に関する理論として理解される場合が多いが)にぞくし、之に反して、後者は単に論理学[#「論理学」に傍点](形式的な所謂学校論理学の延長拡大としての)にぞくする、と云っていい。
尤もこの二つの言葉そのものだけに就いて云えば、どれが所謂認識論側のもので、どれがもっと抽象的一般的な所謂論理学の側のものかは、そう簡単には仕分け出来ない事情にあるので、実際言葉としては二つの間に何も根本的な区別はなかったのだ。ただ必要なのは、所謂方法論(メトドロギー)の方(但しそれを却ってメトーデンレーレと名づけたっていいのだ)が、従来の所謂形式論理学の一分科
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