問題にしたのではなくて、一般に知識というものの性質が何かという根本疑問から出発したのが事実であって、その結果偶々彼に於ては、自我の問題が必然的な帰結として導き出されたに他ならなかった。
 近世哲学は知識の検討、或いはその再検討から始まる。スコラ哲学に就いての知識に深く通じていたらしいデカルトは、却ってスコラ哲学的な知識に就いての疑問を提出した。夫が彼の哲学の出発点をなしている。だがスコラ哲学的知識の批判者としてならば、もっと大規模にそしてもっと判然とした形で現われているものに、すでにフランシス・ベーコンがあったということを、ここに思い出さねばならぬ。すでに述べたように、彼による実験的方法の提唱はその中世的な形相観にも拘らず、他ではないスコラ哲学の僧侶的知識に対して意識的に反抗するためのものであったのは云うまでもない。実験と自然観察とに結び付いている帰納[#「帰納」に傍点]の論理は、彼の知識獲得法乃至知識拡大法に他ならなかった。で、近世哲学が知識(乃至認識)の問題と共に始まったとすれば、近世哲学の発端は大陸の隠遁家デカルトよりも寧ろイギリスの偉大な俗物ベーコンにあったと云わねばならぬ。
 尤も知識・認識の問題は精密に云えば無論ベーコンに始まるのではない。云うまでもなくそれはルネサンスの初期にまで溯る。一代の碩学アルベルトゥス・マグヌス(大アルベルトゥス)や理想家のカンパネラやの名を忘れてはならぬ*。にも拘らず知識という思想界のこの新しい問題を、一身に背負って立つものは第一にベーコンであったのである。処でホッブズを経てこのベーコンに連なるものが、かのロックの経験論だった。――かくて近代哲学によって、知識の問題は、ロックの経験論と、(ロックに正面から取り組んだ)ライプニツが代表する合理主義との、二つの側面から取り上げられた。大陸のこの合理主義が、エリザベス時代のイギリスの新進ブルジョアジーの認識観念であった経験論を、大陸風に或いは宮廷風に変容したものに他ならなかったということは、この際注目に値いする。
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* ルネサンス以来の知識問題研究の歴史に就いては、E. Cassirer, Das Erkenntnisproblem, Bd. I が貴重な研究である。但しここでは近世哲学の発端は、観念性の尊重という処におかれているから、吾々の見解をうらづけるに充分でない。
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 処が一方に於て、ロックのこの経験論は、やがて経験なるものを単なる感覚乃至知覚に還元することによって、バークリの知覚唯存主義となり、露骨で戯画的な主観的観念論にまで「純化」されたが、やがて又之を社会的な観点に移すことによって、D・ヒュームのコンベンション主義となり、事物の客観的法則に対する懐疑論に到達したのである。他方に於て、デカルト・ライプニツの合理主義は、ドイツに於ける啓蒙哲学の組織となり、C・ヴォルフの合理哲学=形而上学の形をとって集成されることになった*。このヴォルフ的形而上学を踏み越えるために、ヒュームに感動し、ロックの本来の問題――経験――を大規模に取り上げたものが、I・カントであることは、広く知られている**。尤もこの際J・N・テーテンスの心理学がカントの経験の分析にとって重大な先駆の役割を果しているのだが。――かくて吾々は、知識の問題を、特にカントに沿って取り上げる歴史的理由を持つのである。之は必ずしもカント主義者の真似をするためではない***。
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* 今日のドイツ哲学のターミノロジーの多くはヴォルフ学派の手によって整頓されたものである。のみならずドイツ講壇哲学の体系はこの時初めて設定されたと見ていい。――ドイツの啓蒙哲学はイギリス・フランスのものに較べて独特な形をとった。何よりも夫が組織的な哲学体系[#「体系」に傍点]として現われたということは、全くドイツ的な現象と云わねばならぬ。
** 前にも云った通り、ベーコンでもそうだったように、経験と実験とは離すことの出来ない関係に立っている。カントは或る個所で、自分の哲学を実験哲学[#「実験哲学」に傍点]とも呼んでいる。彼が自分の哲学方法をコペルニクス的転回と云って誇っているのは好く知られているが、普通之は主観を中心として客観界を処理しようという観念論への転回を指すのだ、という風に理解されている。処が、併しよく考えて見ると、コペルニクスでは、云わば主観に相当する地球の方が、客観に相当する太陽の方を中心にする、という風に処理されるのであって、その逆ではなかった。で所謂コペルニクス的転回なるものは、実験や観察[#「実験や観察」に傍点]に基いて研究した結果、従来とは全く方向の逆な結論を得ることが出来る、という関
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