ウ素の光波吸収の理論と合成光線の分光の理論とに俟つことは云うまでもないが、こうした理論が科学的な既知の知識として伝承され得ることは、全く科学の叙述様式が与える賜である。その意味に於て叙述様式は云わば文献的=文学的な方法だというのであって、特に哲学や社会科学に於けるこの様式の役割は、意外に大きいと云わねばならぬ*。二つの諸様式はだから交互に想定し合っているということを、予め注意しておかなくてはならぬ。
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* 哲学に於ける叙述様式は、往々にしてその研究様式と混同されたり之に代用されたりし勝ちである。こうして哲学の或るものは全く文学的作品或いは寧ろ作文の性質を有ち易い。叙述様式がそのまま実在の体系だと考えたものは代表的なドイツ観念論者フィヒテであった(その『知識学』)。――それから自然科学は、その叙述様式の不整備のために、往々にしてその専門的研究から無意味な他愛のない人文的諸理論を導き出しがちだ。叙述様式は根本概念=範疇を表面に出して用いなければならないのだが、そのための普遍的な範疇組織のどれに、科学性があるかは、哲学の理論的な研究に負うわけで、そこに専門科学者の躓きがちな閾があるのである。
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数理経済学者と称する或る種の学者は、マルクス主義的経済学(正統派経済学もそうだが)の叙述様式が、文学的[#「文学的」に傍点]であって数学的でないという理由で、充分科学的でないと非難する。だが、こういう数学振り[#「数学振り」に傍点]の一般的なナンセンスは別として、数学的な叙述が文学的叙述でないなどということは、嗤うべき迷信だろう。
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だがこの研究様式(叙述方法から区別された限りの研究方法)は、一応明らかなように見えて実は殆んど全くその実質を把握されていないものではないかと考えられる。例えば実験や計算も研究様式だろうし、演繹や帰納もそうだと考えられている。統計も事物の観念的分析もそうだというわけだが、処が夫々を比較して見るとどこにも相互の連絡のつきそうな手懸りはないのである。で、この点を少し整理する必要がある。
そこで必要なのは研究様式[#「研究様式」に傍点]と研究手段[#「研究手段」に傍点](或いは操作[#「操作」に傍点])との区別である。計算や演算や実験は云うまでもなく明らかに一種の科学的な操作なのである。それ故人々はすぐ様之が研究の方法様式[#「方法様式」に傍点]だと考えたがる。だがここには様式と操作=手段との混同がある。そしてこの混同には理由がある。例えば実験は確かに単なる研究手段=操作である、だが夫と同時に、それは一定の研究様式内に於てはその研究様式の一内容としても機能するからである*。併し研究手段[#「研究手段」に傍点]=操作[#「操作」に傍点]は、夫が研究様式[#「研究様式」に傍点]という統一体の具体的な一内容として定着される時初めて、研究様式、方法の資格を(恐らく部分的に)獲得するのである。そうでない限り、単なる研究手段は随時に各処に存在する断片的[#「断片的」に傍点]なオペレーションなのである。で今、研究手段=操作に就いて考えて見よう。
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* 拙稿「社会科学に於ける実験と統計」(前出)に於ては、実験的方法[#「的方法」に傍点]や統計的方法[#「的方法」に傍点]なるものを考えたのであるが、之自身は実は、あくまで実験的手段[#「手段」に傍点]や統計的手段[#「手段」に傍点]に止まるべきもので、それ自身[#「自身」に傍点]が方法となると考えた点は訂正しなければならぬ。――後を見よ。
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所謂形式論理学は従来、科学の研究方法=研究様式を与えるものだと考えられて来ている。だが之は実は必ずしも当ってはいなかった。第一それは研究のオルガノン(用具)即ち研究手段[#「手段」に傍点]=操作を与えるものをしか意味していなかった。事実単にこのオルガノンだけで出来上る研究は、アリストテレス自身に於ても存在しなかったので、他の何等かの統一的な研究様式の下にこの用具を用いて初めて、科学的研究が出来たのだった。ベーコンの新しいオルガノンに就いても、実際はこの点に就いて異るものはないので、帰納を研究様式とするような科学があったとすれば、それは恐らく当時のガリレイの物理学の水準を遙かに下回っていたものに相違なかっただろう。で所謂演繹[#「演繹」に傍点]も帰納[#「帰納」に傍点]も、実は研究様式ではなくて研究手段[#「手段」に傍点]に他ならなかった。
演繹と帰納とは併し、まだ形式的[#「形式的」に傍点]な研究手段に過ぎない。全く之は、形式[#「形式」に傍点]論理学の内容に相応わしい内容をしか有たない
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