R弁証法に関する最初の覚え書き「弁証法と自然科学」は一八七三年に始まる)。
 私は今ここに、自然弁証法を体系的に叙述し得ようなどとは思わない。まだ充分に体系づけられていないものを、今ここに俄に体系づけることは可なりの冒険だろうからだ(この点史的唯物論と場合を異にする)。ただ特徴的な二三の点だけを拾いあげて、一応纏った見通しをつけて見ようとするに他ならぬ。そしてその出発点となるものが、かの自然自身の歴史的過程[#「自然自身の歴史的過程」に傍点]なのである。――だが自然とは一体何か。
 自然については古来、自然哲学者乃至哲学者の、様々な考察があるのだが、含蓄ある意味に於て、之を物質[#「物質」に傍点]と呼ぶことが出来る。自然即ち客観的存在――主観から独立に存在する存在――が哲学的な意味に於ける物質であることは、唯物論の根本命題であった。処が自然のこの根本的な第一規定がすでに、弁証法的であったことを、まず注意せねばならぬ。プラトンの質料(=哲学的意義に於ける物質)は普通無[#「無」に傍点](又は場所・空間)と考えられている。それは確かに単なる有[#「単なる有」に傍点](「ある」)でないという意味では、無でなくてはならぬ。処が最近の哲学史家達の研究が示すように、この無はただの虚無ではなくて、寧ろ、有という定形[#「定形」に傍点]を以てしては徹底限定し得ない程に、盛りあふれた豊富さそのものを意味するらしい。だから之は有でないことによって却って、有でないどころではなく、圧倒的な有なのである。かくて哲学的範疇としての物質は、存在(=有)は、所謂有と所謂無との矛盾に於て初めてなり立つ処の、その古典的な総合概念なのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 哲学的物質の概念の発展と特徴に就いては、拙稿「物質の哲学的概念について」(『唯物論研究』二六号)〔本全集第三巻所収〕を見よ。
[#ここで字下げ終わり]

 物質の哲学的範疇を、認識の歴史はやがてその物理学的範疇にまで、具体化し又は特殊化すが、この物理学的範疇としての物質を見る前に、物質の(自然の)次の根本規定を注目する必要がある。というのは物質は運動[#「運動」に傍点]することをその根本特色としている。運動しない物質は、物質ではあり得ないからである。――処で一体、運動なるものが弁証法の代表的な場合であることは、ゼノ
前へ 次へ
全161ページ中140ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング