m#「自然科学」に傍点]乃至技術学[#「技術学」に傍点]の弁証法の一部分と、実質に於て別なものではなくなる、ということである。――之が自然そのものの弁証法と自然科学の弁証法との、連関である。)
 自然と社会とは自然史的な一貫した連関を持っていた。そこから自然弁証法と史的唯物論との連関が、一般的[#「一般的」に傍点]に、必然である筈だった。今その内容[#「内容」に傍点]が、右に述べた通りだったのである*。
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* 自然科学的世界としての自然弁証法に就いて、その反映[#「反映」に傍点]としてのモメントに重点をおくか(realiter)、構成[#「構成」に傍点]としてのモメントに重きをおくか(idealiter)によって、自然弁証法と史的唯物論との比重が異って来る。前の場合には自然弁証法は勿論史的唯物論の基礎[#「基礎」に傍点]である。だが、後の場合には、自然弁証法はその時局的にアクチュアルな内容に於ては、却って史的唯物論によってリードされることになる。マルクスによって史的唯物論の方がまず大成されたという関係は、この後の契機から説明されねばならぬ。――だが科学的認識の発達が、つねに、対象手近かな吾々にとっての[#「吾々にとっての」に傍点]姿から、対象のそれ自身に於ての[#「それ自身に於ての」に傍点]姿にまで、溯及する本質をも持っているということを、忘れてはならぬ。
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 さてまず初めに、自然弁証法に就いて簡単に述べよう*。
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* 自然弁証法に関する典拠は、エンゲルス『自然弁証法』・『反デューリング論』、レーニン『唯物論と経験批判論』(何れも岩波文庫版訳)であるが、一般の唯物弁証法の教程の一部としてあるものは別にして、独立のテキストは、史的唯物論のものに較べれば殆んど無いに近いとさえ云っていい。ゴルンシュタイン『弁証法的自然科学概論』、岡・吉田・石原『自然弁証法』(『唯物論全書』の内)などが相当纏った参考書である。――なおマクシーモフ『レーニンと自然科学』(桝本訳)やデボーリン『弁証法と自然科学』(笹川訳)を参照。
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 エンゲルスの自然弁証法は、その根本的な対立にも拘らず、ヘーゲルの自然哲学[#「自然哲学」に傍点]と決して無関係ではない。そして
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