れる自由を持っている。そこで勝手にこの技術的領域から離れ、自然科学に於ける範疇組織とは完全に独立して、超技術的・反技術的・非技術的な社会科学的範疇組織が、観念的に自由に成り立つことが出来るというのが事実である。この現象は社会そのものという統一体から見れば、一つの内部的な分裂だが、不幸な社会に於てはこの種の分裂は避けがたいし又あまり目立ちさえもしないのである。かくてこの種の社会科学(?)は自然科学と全く絶縁[#「絶縁」に傍点]する。社会そのものは自然から絶縁し得ないにも拘らず、それらについての認識の方はバラバラになっていいということになる*(もし自然を絶縁したら社会の生産機構はその瞬間に停止するのであるが)。
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* こうして自然科学から「自由」になった思想が、実は極めて不自由な思想だということは、興味のあることだ。アラビア人は解剖する自由を持たず、蒙古人は耕作する自由を持たない。無数な死屍と無限な土があるにも拘らず、科学的知識から自由[#「自由」に傍点]な彼等の思想が、夫を禁止するのである。
[#ここで字下げ終わり]
科学の社会的規定は一通りこうだとして、今特に科学の大衆性[#「大衆性」に傍点]に就いて分析しておく必要がある。というのは、科学は社会に於けるイデオロギー・上部構造であったが、この社会的所産[#「所産」に傍点]は、社会が所有する一種の財産(文化財とも呼ばれる)の性質を持っているのである。今この財産の所有関係[#「所有関係」に傍点]から、科学を見よう。
エジプトやインドに於ては、科学乃至学問(一般に文化が凡てそうなのだが)は僧侶階級のものであった。僧侶は云うまでもなく支配階級にぞくする。古代支那に於ける学問も亦、主として支配者――君子・士大夫――のものであった。ギリシアの科学乃至哲学は比較的大衆化された所有者を発見したが、併しそれにも拘らず、奴隷経済の上に立つ支配者自由民のものであったことは云うまでもない。ヨーロッパの中世には僧侶と貴族との科学しかなかった。このようにして、元来、科学(一般に文化も亦)は決して人類全般、社会全般のものではなくて、或る特定の而も支配的な社会階級乃至社会身分の、占有物だったのである。
無論科学は時代の常識的平均を踏み越えようとする努力を含んだものであるから、どんな能力の人間にでも向
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