しての機能を振い得る立場に立つことになるのである。――現に自然科学は夫自身の伝統[#「伝統」に傍点]を追うて発達する。そしてこの科学の諸成果は、逆に社会科学や哲学や一般文化や、更に技術や経済や政治問題に向ってまで口を利くのが事実である。――例えば進化論が社会理論乃至哲学へ与えた影響、又一般に自然科学の実証的研究態度とその成果とが他の諸科学や文化全般に(文学にさえ――自然主義文学)加えた制約、自然科学の研究による技術学乃至技術の進歩、従って又経済的乃至政治的条件への影響、其の他の多くの著しい諸現象は、ここに成り立つわけであった。
 だが併し、それにも拘らずこの諸現象は、之を再び、自然科学が社会的一存在としてもつ性質から見て評価しようとすれば、決して社会と自然科学との関係の第一次的なものを云い表わしてはいなかったのである。夫は、社会と自然科学との間の、極めて顕著であるにも拘らず依然として第二次的にすぎぬ処の、導出された関係でしかないのである。自然科学が、一つの社会的存在としては、一個のイデオロギー・上部構造である所以が之であった。
 自然科学はその理論内容自身の論理の必然に従って、歴史的発達をする。それは決して嘘ではない。――では自然科学的理論のかかる論理的展開(夫は自然科学にとって内部的[#「内部的」に傍点]な規定と見做されている)と、社会から来る例の外部的[#「外部的」に傍点]諸規定とは、どう関係するか。恰もここに、自然科学(一般に科学がそうなのだが)のもつ社会性・イデオロギー性の、根本的な問題が横たわる。と云うのはイデオロギー性とは、科学の社会性[#「社会性」に傍点]とその論理性[#「論理性」に傍点]とを噛み合わせた処の概念だったからなのである*。
 それはこうだ。
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* イデオロギーは決して単なる社会学的範疇ではない、同時に論理学的範疇なのである。この点に就いては拙著[#「拙著」は底本では「拙者」]『イデオロギーの論理学』〔本全集第二巻所収〕を一貫して説明を試みた。なお「諸科学のイデオロギー論」(拙著[#「拙著」は底本では「拙者」]『イデオロギー概論』〔同上〕の内)を見よ。
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 一般に科学に於てそうであるが、自然科学に於ても亦、科学の論理性が一等露骨に表面に現われるのは、その範疇と範疇組織とに於
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