家財政は、自然科学の自然科学としての発達に実質的な援助を与える程の余裕をもはや残さないようにさえ見える。――だがこの現象は決して日本にだけ特有な偶然な事情ではない。之は世界の一切の資本主義国が、多かれ少なかれ採用しなければならぬ共通のコースに他ならない。ただ日本の場合、それが極めて特徴的であるに過ぎないのである(ナチ・ドイツのユダヤ人排撃による多数の有能な自然科学者の追放などは、論外としてだが)。――処で一方、レーニン等によれば、ソヴェート権力[#「権力」に傍点]は全国電化[#「電化」に傍点]と結合して初めて現実的な意味を得るのだった。ここでは政権と自然科学とは別なものではないようにさえ見える。
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* 岩崎による理化学研究所、塩見による塩見研究所などが、その少数の例に過ぎない。そして之とても、少なくとも前者は、欧州大戦当時に於ける軍国産業奨励をその設立の動機にしていることは注目すべきだ。
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 次に、社会の観念層=イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]と自然科学との関係となる。自然科学はそれ自身一つのイデオロギーであるから、社会に於けるイデオロギーの他の分野と極めて密接な関係を有つことは改めて説明する迄もない。社会に於ける一般文化・思想・の動向は直ちに何等かの形でここに反映する。ルネサンス期に於ける文芸復興とヒューマニズムは、自然の自由な囚われない探究となって、自然科学の精神を形成したことは今更云うまでもない。マルクス主義は唯物弁証法として、今日の自然科学研究に対して新しい動向を与えつつある*。哲学上のマッハ主義は今日でも多くの「ブルジョア自然科学者」の科学精神を支配している。この種の諸思想がどういう機構を通じて自然科学を制約しているかに就いては次に述べるが、少なくともこうした制約のあるという現象は、今之を見遁すことが出来ない。――社会科学上の理論が自然科学を制約した例としては、マルサスの人口理論(資本主義がそれ自身に自然的な矛盾を持つことを初めて見抜いた正統派経済理論)がダーウィンの自然淘汰理論に示唆を与えたことが、挙げられるのを常とする。
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* ソヴェート・ロシアを除いて、マルクス主義による自然科学的研究は、初めはドイツに於て最近ではフランスに於て、相当
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