と見えるものは、資本制下に於ては、利潤追求機構の促進のための生産技術的努力でしかない。例えば改良された蚕種は、蚕の生命の安全率を犠牲にすることを免れないが、之は養蚕家(主として農民)にとっては極度に不利で、之に反し製糸業資本家にとっては極度に有利な「改良」の意味なのである。なぜなら製糸業者は、少数の合格した繭に就いてだけ貫当りの相場で養蚕家へ支払えばよいからである。――資本主義社会に於ては、もはや今日、技術乃至技術学の意味に於ける「発達」は不可能になっていると云っていい。だから、こうした状態に於ける生産力の技術性や技術学的与件乃至要求やによって制約される筈だった自然科学は、つまりそれだけ直接に資本主義からマイナスの方向に向って規定されざるを得ないわけなのである。
社会主義的生産機構下に於て、技術・技術学・自然科学(医学・社会衛生・其の他の実証科学をも含めて)が、之と如何に異った条件の下に置かれているかは、世界が斉しく認めざるを得ない処である。ソヴェート・ロシアに於ける産業と科学の溌剌たる発達の事実は、全くこの社会主義的生産関係を、唯一の原因としているものに他ならぬ*。
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* この点に就いては、恐らく外国人の書いたものの方が、資本主義的信用を有つだろう。クラウサー『ソヴエト・ロシヤの科学』(時国訳)、同じく『ソヴェト・ロシアに於ける産業と教育』(辰巳訳)、J. J. Trillat, Organization et principe de l'Enseignementen U. R. S. S.(Les relations entre la Science et l'Industrie)1933 参照。――なおソヴェートの技術と技術学乃至科学との関係については、『ソヴェート科学の達成』(岡・大竹・監訳)が最もよく説明している。
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次に政治権力[#「政治権力」に傍点]が自然科学に及ぼす制約であるが、例えば日本などに於ける自然科学(即ち国家にとって須要な学術)の保護奨励の制度施設は、他の資本主義国に較べて、大体名目上の程度に止まっているように見える。資本家の「純粋」自然科学に対する援助も、日本の気短かな資本の利益にとってあまりに回り道に見えるので、大して捗々しくない*。そして軍義的工作に吸収されて了う国
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