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 統計的操作とは、個々の事象が直接経験出来ず、単に集団的にしか観察出来ない場合か、或いは個々の事象が経験しようと欲すれば経験出来るにも拘らず、個々の事象の観察からは得られないような材料を必要とする場合に、用いられる材料収集の手段である。――材料は云うまでもなく人間の現実の経験[#「経験」に傍点]から受け取られる。之が一切の科学の研究の端初であった。処が経験から材料を受け取ると云っても、決して簡単なことではない。材料の収集には経験の蓄積を必要とする。その経験の蓄積はどうやって行なわれるかというと、夫が第一に観察[#「観察」に傍点]なのである。材料の収集の手段はだから第一に観察だと云っていい。今この観察が単に集団的な現象に就いてしか事実上不可能であるような場合(例えば気体運動論に於て全分子の運動の総体の如き)か、或いは個々現象の観察では必要な観察が行なわれない場合(例えば失業人口の推定の如き)、必要なのがこの統計的操作である。――かくて統計的操作は第一に大量観察[#「大量観察」に傍点]だということが出来る。
 尤も同じく大量観察と云っても、右の例の二つの場合によってその意味を異にしている。例えば前の例での一定容積内の分子の諸運動は、初めから大量そのものとしてしか事実上与えられ得ない。之は言葉から云えば言葉通り大量観察ではあるのだが、併し所謂(社会科学などで用いられる意味での)「大量観察」とは性質を全く異にしている。真の大量観察は、事象の個々[#「個々」に傍点]の場合々々を、或る相当の回数乃至個数に至るまで、同時的に或いは時間的に、一つずつ反覆するに及んで、その平均分布を求め、そして初めて得られる処の観察を云うのである。
 この後の意味に於ける大量観察の結果得られた材料を、普通「統計」と呼ぶのであるが、統計的操作は次に第二に、この統計材料を統計解析[#「統計解析」に傍点]に掛ける。この統計材料が時間関係を含まない時(時系列[#「時系列」に傍点]をなさない時)は、統計解析は主に分布状態[#「分布状態」に傍点]を与える。即ち大量的に多数な同一種の諸事象は、適当に区切られた区画にあてはめられ、夫々の区画に夫々の散布度が発見されて、一定の高低の段階を有った分布形態が現われるのである。もしこの材料が時系列をなすなら、即ちこの大量的に多数な事象の間に歴
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