v(商品―貨幣―商品)の処理法は、代数学的記号とその操作の模範的なものにぞくするだろう。――スピノザのユークリッド的手続きによる『倫理学』は、強いて云えば哲学に於ける今の一例となるかも知れない。蓋しこの『倫理学』は、例の分析的手段と解析的手段との、移行の中間に横たわるからである**。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 経済学に関する感覚測定論に就いては、高垣虎次郎『経済理論の心理学的基礎』(改造社版『経済学全集』第五巻)参照。
** 次に見るように統計的手段の一部に数理統計[#「数理統計」に傍点]なるものがある。之は云うまでもなく数学手段にぞくする。でここからも知れる通り、諸研究手段の相互の間にも、直接の交錯がなくもないのである。
[#ここで字下げ終わり]

 解析的手段は分析的手段の特別な形態だったが、それが特別な形態であるだけに、云うまでもなくその適用範囲は広くない。之を研究様式とするということは、数理経済学などの誇称を論外とすれば、だから初めから殆んど絶望で、そうした企ては多く極めて無内容に終っているから問題ではない。叙述様式としてさえ、この手段は著しく制限されている。だが強いてこの手段を叙述様式の下に用いようとすれば、大抵の場合夫が不可能ではないのである。従って叙述様式にこの手段を用いることが出来たということは、少しもその科学の科学性を高めるものでもなければ科学性を証拠だてるものでもない。まして、之だけによって(数学以外の)科学の叙述を与え得たと称するような場合がもしあるとすれば、夫は恐らくその科学の非科学性(抽象性・テーマの人工的局限・認識目的の喪失・等々として現われる)をさえ証明するだろう。

 統計的操作[#「統計的操作」に傍点]。前二者は併し、科学研究上に於ける消極的な操作でしかなかった。之に反して、積極的な手段を提供するのは統計的操作と次の実験的操作とである。と云うのは、この二つは科学研究に対して能動的に材料[#「材料」に傍点]を収集[#「収集」に傍点]する機能を有つからである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 統計と実験との対比に就いては、例えばマルク「統計学」(『科学研究法』――フランス学会編――の中)を参照。――なおこの『科学研究法』は人文関係の諸科学に就いての実証論的な立場からする代表的な省察が集められている
前へ 次へ
全161ページ中98ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング