り区別されていなかった。現代では自然哲学などというものの代りに自然科学があり、それで充分事が足りると考えられる傾きが支配的だが(併しそれでも最近の政治的反動時代に相応しく、ロマン主義的な神秘思想がナチス・ドイツあたりで復興されるに及んで、身心関係の問題などを縁として一種の自然哲学が復興しつつあるのだが)、凡ゆる社会階級を一様に通じては行なわれ得ない理由を有っている社会科学乃至歴史科学に就いては、今日でもなお依然として、或いは、最近の事情の下には愈々、之と密接な関係のあるものとして、各種の社会哲学[#「哲学」に傍点]や歴史哲学[#「哲学」に傍点]が尊重されているのである。
 処でこの種の自然、社会、歴史、の「哲学」は、単に哲学の夫々の一部門であるというだけではなく、実は之が哲学一般[#「一般」に傍点]を、哲学そのものを、一切の「科学」から区別しようとするために必要なので、このように強調されているのである。つまり科学の外に何等かの哲学という学問(否学問でなくてさえいいのであるが)を安置することが、この試みの興味であるように見える。――この試みの最も露骨なものは、各種の「科学の批判」の仕方の内に現われている。科学(特に自然科学)は吾々が前に見た通り、実証的であった。論者も亦まずこの規定から出発する。科学(乃至特に自然科学)は実証的である。だが哲学は之に反して批判的[#「批判的」に傍点]である、というのである。
 一体実証的という欧米語は積極的・肯定的・プラス的ということを意味する。例のコントは、之と対比して、従来の哲学即ち彼の言葉に従えば形而上学を、消極的でマイナス的だという意味に於て、批判的だと考えた。特にカントの所謂「批判主義」はその適例だというのであった。コントに於ては自然科学はそのままで学問全般の標準であり、それに準じる限り哲学も科学も区別はないのであり、従ってつまり哲学なるものの存在理由は終局に於てなくなるのであるが、そういう実証主義と科学乃至自然科学の万能主義とに、まずアカデミシャンとしての身辺の不安を感じたものは、ドイツの哲学教授達であった。ヘーゲルの哲学体系の美事な完結と又その同じく美事な崩壊とは、哲学そのものの完成とその完全な没落とを意味するかのように受け取られた。この状態から「学としての哲学」を救い出すためには、かの消極的でマイナスなものと貶されたカン
前へ 次へ
全161ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング