zialwissenschaftliche Erkenntnis (〔Ein Beitrag zur Me'thodik der Gesellschaftslehre〕) 1930 がある。
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 吾々は元来、自然科学と社会科学との両者に就いて、それに共通のそして夫々に於て相異った事情の下に用いられる処の、一般的方法[#「一般的方法」に傍点]の諸契機を分析しようとするのだが、それに先立って、社会科学だけに関する方法理論を予め見渡しておかねばならぬ*。――尤も社会科学的方法の建前上の分裂は、云うまでもなく夫々の科学の背後に控えている哲学そのものの方法(従って又世界観)の分裂に略々照応している。例えば所謂「社会学」(ブルジョア社会学)はコント的実証主義のものであるし、マルクス主義的社会科学は弁証法的唯物論のものである。カント主義的批判哲学からはR・シュタムラーの法律学やM・アードラーのカント的唯物史観やメンガーの経済学方法論が発生するし、ディルタイの解釈哲学は例えばE・カレルや我が国では高田保馬氏の社会科学方法論などに根本的に影響している**。等々。だが哲学の諸方法の対立に関する分析は、今の場合のテーマとしては広範に過ぎるし、問題を別な処へ持って行かなければならなくなるので、省略する他ない。
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* P・アンドライは、諸科学、特に自然科学と社会科学とに共通な一般的方法があるとする立場を、方法論上の一元論と呼び、A・リールやJ・S・ミル、E・デュルケム、K・マルクスなどを之に数えている。之に対して、方法論上の二元論を採る例は、R・シュタムラーやG・ジンメルの場合だという(P. Andrei, Das Problem der Methode in der Soziologie, 1927)。――だが方法論上のこのような二元論が、今必要な科学論としては、不統一極まるものであることを、私は「三」に於て見た。
** E. Carell, Wirtschaftswissenschaft als Kulturwissenschaft, 1931 は主として「理解経済学」なるものの説明を与えている。この理解経済学[#「理解経済学」に傍点]は、純粋な理論経済学と全く無関係なものだというのである。――高田保馬氏は、理論的社会科
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