Gに帰せられる他はなかったわけである。特に歴史学乃至文化諸科学の科学理論をテーマとしたリッケルト達の「科学方法論」乃至「科学論」が、科学全般を専ら科学の方法自身によって規定しようと企てなければならなかった動機も亦、ここにあったのである。
様々の科学論や科学方法論による解釈の如何に拘らず、自然科学がそのものとして一纏まりの一定の方法に基いているという事実には、何の動揺も来しはしない。無論自然科学に於ても、可なり根本的な立場の相違に帰着するように見える対立は、あらゆる時代に、随処に、見出される。光に関する波動説と粒子説、エーテル概念に就いての肯定的見解と否定的な意見、近くは量子力学による物理学的対象界の非直観性の主張と、之に対して依然としてその直観性(空間的定位)を救い得るという主張(M・プランクやアインシュタインが略々之にぞくする)との対立など、がその例である。処がこの種の対立は今まで常に、少なくとも同一平面或いは云わば同一立体内に成り立った二つの見解の間の相違に他ならぬものと仮定してかかって、さし閊えなかったのであり、従ってこの二つの対立した立場もやがては、総合・統一され得ねばならぬという約束の下に立っている。現に今までそういう約束に従って来たばかりでなく、今後も亦そういう約束の下に立つだろう。この点から云って、自然科学に於ける対立的な様々の立場も、自然科学そのものの云わば各流派の建前[#「建前」に傍点]の相違までをも云い表わすものでは決してない*。この建前上の一致が、何より自然科学の科学としての信用を支えているのである。
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* 自然科学に於ける諸領域間の対立、従って夫から導かれがちな自然科学意識そのものの対立、それから、アカデミックな伝統に基くやり口やテーマの選択やに於ける対立、こう云ったものは、まだ立場[#「立場」に傍点]の相違にさえ数えられない、況して自然科学そのものに就いての各種の建前[#「建前」に傍点]の相違などにはならぬ。
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処が社会科学に於ては、事情は全く之と違っている。少なくともブルジョア社会科学とプロレタリア社会科学との間に於て、又ブルジョア社会科学相互の間に於て、そうなのである。歴史学に就いて相互に相容れない建前があることを吾々はすでに見た(詩的・教訓的・史料的・其の他の歴史
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