ヘ云うまでもない)、科学全般[#「科学全般」に傍点]の統一的[#「統一的」に傍点]な理論は成り立つことが出来ない。而もこの二つは、現代のブルジョア哲学に於ける科学方法論の殆んどただ二つの代表者だったのだ。
こういう乱雑はどこから発生したか、それは、単に方法[#「方法」に傍点]だけによって科学を規定して了おうとする処からであった。方法は単にそれだけとして見れば、既に見たように、主観の能動的な構成作用に他ならなかった。之を唯一の科学規定の(科学の分類の・又科学的世界の)標識とすることは、それだけ科学を主観側から、その意味で観念的に、限定して了うことを意味する。科学は元来実在を反映するものだった。その反映の手続きとして初めて主観による方法もその権利を有ったのであった。処が所謂「科学方法論」によれば、科学は専らこの主観的な方法の中に解消して了う。科学の分類も亦そうでしかなかった。
尤もディルタイはリッケルト程に、徹底的な方法主義者ではないように見える。彼は科学の方法に就いて語るに先立って、「歴史的世界」に就いて語る。そしてこの世界から歴史学の精神科学的方法を導き出す。だからそのやり方はリッケルトの場合を逆に行くものだろう。だが、この肝心な「歴史的世界」が自然界や其の他の世界とは何等の連関[#「連関」に傍点]に(「構造連関」に!)這入っていない。自然界が持っている宇宙的時間、そこに因果の必然的な連鎖が脈打つと考えられる自然の時間は、この歴史的世界の「構造連関」のどこに影を潜めて了ったのだろうか。自然の方は解釈されただけでは不充分であるのに、人間社会の歴史だけが、なぜ単に解釈されただけで、事が済むのだろうか。自然と歴史的社会とをこのように全く秩序界[#「秩序界」に傍点]の異った地上と天国とのように分離することは、現代のこのブルジョア社会に対する認識という点から見て、並々ならぬ意味のあることだ。
併し、「科学方法論」が示す右のようなチグハグは、案外卑近な所にそのメカニズムを持っているとも考えることが出来る。というのは、「科学方法論」の習慣は、いつも自然[#「自然」に傍点]科学を歴史[#「歴史」に傍点]科学に対立させることにあったのである。つまり実は、自然[#「自然」に傍点]と歴史[#「歴史」に傍点]とが対立させられるのである。処がこの対立が元来チグハグなのである。一体ここで
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