攪_は、特定の学問上の伝統を背景としている。と云うのは、その精神科学の方法は、文献学[#「文献学」に傍点](Philologie)乃至解釈学[#「解釈学」に傍点](Hermeneutik)に他ならないのである。文献学(或いは古典学[#「古典学」に傍点])は、世間で普通、言語学[#「言語学」に傍点]と訳されている言葉であり、実際、それがギリシアで始まった時には文法学であったのだが、併し十八世紀後半に及んで、F・A・ヴォルフの学派によって、初めて一応古典語の意味を受け取るようになった。之は古典語学と古典語の解釈法とを意味したのだが、後に之はやがて古典そのもの乃至古典的文書の解釈法となり、更に独り文書に限らず広く古典的造形芸術さえもの解釈法となり、更には独り過去の古典に限らず夫々の同時代の文書及び一般文化の解釈法にまで転化した(他方の系統としては近代的な比較言語学として発達するが)。
こうなる時、この解釈法が解釈学という文化乃至精神の解釈のための方法論[#「方法論」に傍点]を意味して来ることは当然で、文献学を文化のこうした一般的な解釈学にまで高めたものは、シュライエルマッハーであった*。処でそこに恰も歴史学[#「歴史学」に傍点]の方法という課題が結びつくのである。歴史学の方法論を文献学乃至解釈学の内に見出した最初の段階は恐らくW・v・フンボルトであろうが、之をハッキリと意識的に前面に押し出したものはドロイゼン(J. G. Droysen, Historik)である。ディルタイの歴史学乃至精神科学の方法論は、ここに基くのである**。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* W. Schleiermacher, 〔Akademierenden u:ber Hermeneutik.〕――なおシュライエルマッハーの後輩 A. Boeckh の 〔Enzyklopa:die und Methodologie der philologischen Wissenschaften〕 は注目すべき書物である。
** ディルタイについては全集第七巻、Der Bau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften を見よ。――なお文献学の現代に於ける意義に就いては、拙著『日本イデオロギー論』中の「文献学的哲学の批判」〔前出〕
前へ
次へ
全161ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング