Wづけ」に傍点]を行なう。処が自然科学の方法は没価値[#「没価値」に傍点]的だと考えられる。――こうしたものが、リッケルトによる科学の分類[#「分類」に傍点]と、科学の方法[#「方法」に傍点]との、概略である*。
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* リッケルトの科学方法論の主なる著作。Die Grenzen der naturwissenschaftlichen Begriffsbildung. ―Naturwissenschaft und Kulturwissenschaft.―Die Probleme der Geschichtsphilosophie 等。
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 リッケルトの科学方法論は、かくて自然科学と文化科学との根本的な区別[#「区別」に傍点]と対立[#「対立」に傍点]とを明らかにした。之は云うまでもなく一応の功績に数えられることが出来よう。だが大切な点は、この二つの科学の間の連関関係[#「連関関係」に傍点]が、之によっては少しも与えられていないということである。単に区別するということは、関係づけるということの云わば極めて無責任な初歩の段階にしか過ぎない。だからこの科学方法論に対しては、今云ったこの根本弱点に注目して、数限りない反対と批難とが浴びせかけられた。
 リッケルトによれば、自然科学は法則を求める科学であり、之に反して文化科学は個性ある事象を選択する処の科学であった。普遍的法則はだから自然科学に於てしか許されない根本概念となる。――だがよく考えて見ると、自然科学が仮に法則を発見することを方法とする科学だとしても(そして夫は嘘ではないが)、ただ法則を発見しただけでは何の役にも立たぬ。科学の認識目的は、却ってそれから先にあるのであって、実は個々の事象に一つ一つこの法則をあて嵌めるということこそが、この科学の最後の意味での方法でなければならぬ。個々の事象から独立した法則などというものは考えられない。処がこの個々の事象は、たといリッケルトの云うような文化価値への直接な関係づけが一応無意味であったにしても、そうだからと云って決して全く没個性的なものではない。が夫が一つ一つ異った性質を有てばこそ、個々の[#「個々の」に傍点]事象なのだ。仮に法則がこうした諸々個々の事象からの共通な一般的な関係を抽出して出来上ったものだとしても
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