驍アとが出来るという点だ。例えば社会学乃至社会科学は、従来精神科学であるのか自然科学であるのか判然としなかったが、その方法が自然科学的である限り(即ち対象を一様に等質的に且つ個々の場合に就いてではないという意味に於て連続的に、取り扱う限り)、正に「自然科学」にぞくする。歴史科学は文化科学だ、然るに社会科学は之とは全く相反する自然科学である! というような結論を産むのが、この科学方法論の特色のある効用なのである。
 自然科学は自分の対象を等質的で連続的なものとして見出す。ということは、この対象が反覆[#「反覆」に傍点]し得るそして個体としての個性を持たない[#「個性を持たない」に傍点]ものだということである。反覆しつつ個性を没するものを、論理学的に云い表わせば一般性[#「一般性」に傍点](共通[#「共通」に傍点]普遍性)である。之を自然科学の具体的方法に於て探して見ると、普遍的法則[#「普遍的法則」に傍点](個別的法則というものがあるとすれば夫から区別された普遍的法則)の発見と適用ということに他ならない。自然科学はだから法則発見的[#「法則発見的」に傍点]科学である。――文化科学は之に反して、その対象を異質的で不連続なものとして発見する。ということは、この対象が個体として個性を持っているということだ。ここでは普遍的法則の反覆は許されない。歴史に於ては旧いもののただの反覆はない。歴史上の事件は、他の事件と一続きに等質である故を以て認識目的に適うのではなくて、他の事件とは異った特異性を持てばこそ、認識目的に適したものとして選択[#「選択」に傍点]される。で、文化科学は個性記述的[#「個性記述的」に傍点]な科学である、ということになる*。
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* この点は全くヴィンデルバントに由来する(W. Windelband, 〔Pra:ludien〕 の内を見よ)。
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 自然科学の対象は、普遍的だということに於てしかその価値を持たない。処が文化的な価値[#「文化的な価値」に傍点](文化価値)は却って人間的で個性的な形態によってしか表現され得ない。そこでこの文化価値を標準として、著しく価値ある又は著しく反価値的な個性をもったものを選ぶのが、文化科学の方法だ、と云っていい。文化科学の方法は、価値への関係づけ[#「価値への関
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