_外とする)はその研究の対象が何であるかによって、分類されている。コントの分類でもすでにそうだったし、又何等かの主観的な原理を用いて分類しようとする場合にも、いつか知らず知らずに、対象そのものによる分類法を、混入したりつけ加えたりしているのが常だ。処がこの分類方法は現在一つの根本的な困難に行き当った、とリッケルトは考える*。と云うのは、普通の常識によると、実在は自然界と精神界とに分れるのであるが、この自然を対象とする所謂自然科学と、この精神界を研究すると称する所謂精神科学(例えば実験心理学)とは、単にその対象を異にするというだけで、科学としての性質から云ってどこも根本的に変った処はない。でそうすると一切の科学が同じような根本性質を持っているのかというと、決してそうではないので、例えば歴史学は自然科学などとは非常に違った科学的性質を有っている。だからこそ現に、歴史学は「科学」であるかないか、ということさえが問題になるのだ。それではこの自然なるものと歴史なるものとが、対象として全く別なものかというと、之又決してそうではないので、歴史も実はその材料から云うと自然以外の何ものでもない、と彼は考える。そうすればこの二つの科学の根本的な区別は、研究の対象[#「対象」に傍点]如何による区別ではない、という結果になる。
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* 代表的なものとしてW・ヴントの分類法を挙げることが出来る。彼は実在の区別に従って、自然の科学(自然科学)と精神科学(心理学)とを、大別する。
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対象としては自然と精神との区別がある。処が科学そのものはこの対象の区別とは無関係に、自然科学と歴史的科学とに区別されている。それに、精神は心理学によって「自然科学的」に研究されている、かと思うと同じ自然も場合によって専ら「歴史学的」に研究される。それ故、とリッケルトは結論する、科学はその対象[#「対象」に傍点]によって分類されるべきものではなくて、却ってその研究方法[#「方法」に傍点]によって分類されねばならない。同じ対象であっても、研究態度としての科学の方法が異るに従って、異った科学の対象となることが出来る。科学が、その研究する対象たる実在か何かの相違によって区別されるという考えは、だから単なる無批判な素朴な常識に過ぎないのであって、批判的[#「批
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