黷驕Bこのエンサイクロペディアはまず論理学から出発して諸自然科学を遍歴し、やがて精神諸科学(心理学と社会科学と文化科学)を経て、哲学と世界史とに終るのである。――ヘーゲル自身は必ずしも新鮮な圧力ある科学意識に動かされているのではない。彼のエンサイクロペディアは従来の人間認識のレジュメ以上のものでもなければ夫以下のものでもない。だがこの科学分類(この哲学的エンサイクロペディア)はやがて、マルクスの科学的な社会科学[#「科学的な社会科学」に傍点]=科学的コンミュニズムなる圧倒的な理論的意識と結びつく。そこにヘーゲルの諸科学百科辞典的な体系の、歴史上の積極的な意義があったのである。ヘーゲル哲学体系を使用して、社会科学と自然科学との、又夫々の諸科学の間の、分類体統を与える道を開いたものは、F・エンゲルスであった。だがこれに就いては、後に見よう。
 で今迄見て来た通り、有名で又有力な科学分類の裏には必らず、云わば社会的に摩擦されて光を放っている処の、新鮮で強力な、新しい科学の意識があるのである。――処で、今日のブルジョア哲学に於ける所謂「科学方法論」の代表的なものも亦(それは何と云ってもリッケルト教授の名に結びついているのだが)、一つの科学分類から出発しているのである。尤もリッケルト教授達の思想や業績の持つ一般的な重要さは、強ち高く評価されるべきものではないだろう。世間には遙かに意味の大きな科学的哲学的動きが、沢山ある。だが「科学論」というテーマから云うと、リッケルト等の仕事の意義は充分注目されていいというのである。彼の科学分類と、それから結果する科学方法論とは、歴史科学乃至社会科学や自然科学が、今日のブルジョア観念論哲学の観点から照らされる時、もはや到底収拾すべからざる雑踏と混乱との中に見出される他はない、ということを告げるだろう。実は恰もここに、所謂「科学方法論」なるものの、画期的な歴史的意味があるのである*。
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* リッケルトの科学方法論に関する解説と、やや不充分ではあったが一応の批判とは、拙著『科学方法論』〔前出〕で与えた。私は今、多少の反覆は止むを得ないがなるべく重複を避けたいと考える。
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 H・リッケルトによれば(之はW・ヴィンデルバントの始めた考察に由来するのだが)、普通、科学(今は数学や哲学は
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