者プランクは、このギャップに特に気を配らざるを得ないので、世界そのものと世界像との、吾々にとっては最も根本的な関係を、説明する気にならないのである。
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* M. Planck, Die Einheit des physikalischen Weltbildes (1909)――田辺元訳『物理学的世界像の統一』(岩波哲学叢書)。同じく Das Weltbild der neuen Physik (1930); Positivismus und reale Aussenwelt (1931) 等を見よ。又 Der Kausalbegriff in der Physik (1932).
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 だがこのことは、所謂世界像[#「世界像」に傍点]と、所謂世界観[#「世界観」に傍点]との区別を云い表わしてもいる、ということは興味のあることだ。プランクのやや反唯物論的な認識論乃至科学論によれば、諸科学の、客観的根拠のある統一組織に就いての、積極的なプランに到着することは恐らく至難だろう。彼の所謂世界像は決して、だから世界観[#「世界観」に傍点]にまで、そうした哲学的統一の立場にまで、そのままでは高揚することが出来ないだろう*。――だが、云うまでもなくこの世界観こそは最も一般的な統一的な「科学的世界像」でなくてはならぬ。世界観は世界の直観[#「直観」に傍点]である。之は単に世界観という言葉を解釈してそう云うのではない。世界実在に就いての直接的な無媒介な無構成な、模写[#「模写」に傍点]という根本的な関係をば、世界観という言葉は云い表わしている、というのである。そうすれば、科学はその方法[#「方法」に傍点]とイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]との構成過程を通じての総結果として、この統一的な科学的世界像に、科学的な世界観[#「世界観」に傍点]に、世界直観に、即ち世界の統一的な模写・反映に到達する、ということになる。
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* 世界像と世界観との相違に就いて、私は曾て述べたことがある(「自然科学に於ける世界観と方法」――『理想』四六号〔本全集第三巻所収〕)。岡邦雄氏も亦之に触れている(『新エンサイクロペディスト』の内)。なおこの区別及び一般に自然科学と世界観との関係に就いては S.
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