「引用精神」に傍点]の問題にぞくする。かくて引用の精神は文献的認識[#「文献的認識」に傍点]の精神だ。――そこで文献的認識は現代科学に於てどのような役割を果しているか。
 自然科学の研究に於ける文献の役割の大きいことを知らぬ人はない。「学術雑誌論文」こそは自然科学研究者から所謂「文献」と呼ばれている処のものだ。
 だがここでは普通の学界常識からすると、古典という意味に於ける文献の意義は、あまり重んじられていないのではないかと思われる。ニュートンのプリンキピアは一つの古典であるが、現代の物理学や力学にとって文献的な価値があるとは、普通考えられていない。更にルクレティウスの詩「自然物論」やギリシア自然学者の「物理学」の類は、もはや科学の古典でさえもなくて、単に一般思想上の遺産に過ぎないと考えられている。ここから現代自然科学にとっての何等かの意義を見出すものは、例えば故寺田寅彦博士のような多少ともディレッタント風な研究家の思い付きに過ぎぬ、というような感を、普通の自然科学アカデミッシャンは有つらしい。
 併し少し考えて見ると、自然科学上の古典的文献に対するこうした態度は、自然科学的認識につい
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