われている。必ずしも日本だけではなくて、科学的な社会科学[#「社会科学」に傍点]を信用しないブルジョア社会に於ては、どこの国でも多かれ少なかれ見受けられる処の現象だ。だが科学を自然科学に限定する合理的な理由は無論全く見出され得ない。科学的精神とは、自然科学一点張りのことや所謂「科学万能主義」や又「科学主義」とは、云うまでもなく別だ。科学主義の名に値いするのは例えばフランスのル・ダンテクのものなどであろうが、之は実証主義認識論の現代的形態の一つと云っていいだろう。そして実証主義[#「主義」に傍点]なるものと実証的精神[#「的精神」に傍点]との相違は、常識にぞくする。現代唯物論は実証的精神によって貫かれているが、実証主義は一種の現代観念論に数えられるのである。
 科学的精神は真の[#「真の」に傍点]意味に於ける実証的精神[#「実証的精神」に傍点]である。というのは、単に感性に訴え感性の保証を要求するだけではなく、その感性が主体的な能動性の発露面・出入口・の役割を担うのだ。つまりこの感性は実践と実験の窓なのである。之がなければ事物の時間的歴史的推移の必然性の内面に食い入って之に対処することが
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