出来ない。科学的精神とはその限り歴史的認識の精神[#「歴史的認識の精神」に傍点]である。事物をその実際の運動に従って把握する精神なのだ。
 だが科学的精神の意味する実証的精神は、同時に技術的精神[#「技術的精神」に傍点]をも意味する。その意味はこうだ。実践や実験は要するに社会に於ける生産の技術から離れては、社会的に存立するものではない。社会の生産技術に触れない如何なる行動も、単に肉体の運動ではあっても少しも実践的ではない。世界を根柢から動かすことが実践の最後の意味だろうが、生産技術に関わりない行動は世界を根柢から動かすことは出来ぬ。実験のプロパーな意味は、こうした技術的機動力を有つ実践が、自然に対して働きかける場合を指す。そして実験が生産技術の水準によって直接支配されることも、判り切ったことだ。実験は産業と一つづきのものだ(実験室と工場との結合を見よ)。かくて科学的精神は又技術的精神である。
 事実、技術的精神によるのでなければ事物の歴史的認識を齎すことは出来ないのだ。科学的精神とは、歴史的・技術的・精神である。実践的精神と論理的精神とが夫だ。――で、フィロロギー精神が如何に非技術的で
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