文献精神・引用精神が、独り勝手にとぐろを巻き始めると、すでにその元来の実証的精神などは吹き飛ばされて了う。民族の歴史的伝統を口ぐせにすることは、やがて民族の歴史的な事実を美事に抹殺して了うことだ。国史の認識が喧しくなればなる程、一定の国史史料は封鎖されねばならず、古典的文献そのものが改竄《かいざん》されたり否定されたりしなければならなくなって来ているのだ。
 ここに、歴史認識に於ける科学的態度と非科学的・反科学的・態度との、鮮かな対立が現われるのを見ることが出来るだろう。思い上った[#「思い上った」に傍点]文献精神・引用精神は、文献そのものをさえ破壊し、引用そのものをさえ無用にし又不可能にする。実証的精神[#「実証的精神」に傍点]の退潮後退が、文献精神・引用精神・をば非科学的・反科学的・にするのだ。引用精神の独裁が科学的精神の反対物を齎すのである。
 私はすでに、この消息を、文献学主義[#「文献学主義」に傍点](フィロロギー主義)と名づけて、現代観念論の方法全般に於けるその系統的な活動振りを批判した。哲学の方法としては之が解釈学となるものであり、現実の実践的変革の代りに世界をあれこれと
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