、技術的な、そして実践的な、規格を遵奉せざるを得ないものであって、事物の一片と雖も単なる文献と引用だけでは片づかないことが初めから明らかだからである。実験的研究から切り離された文献的研究が、正当な意味に於て今日の自然科学的研究でないことは、云うまでもない。――処が、それにも拘らず、この自然科学の背後にも、何等実証的なカテゴリーと関係を持たないような自然哲学的・観念的・精神主義的・其の他其の他の形而上学的世界観が現われることは、往々見られる現象だ。こうしたフラーゼオロギーは全く、文献的精神・引用の精神・の戯画であるが、それというのも、自然科学は自然科学、その背後の認識論の類は認識論、という風に、二つのものを切り離して考える俗物自然科学者の習慣に傚うからのことで、自然科学の研究そのものが、正に先に云ったように歴史的[#「歴史的」に傍点]な認識に基く所以を、理解しないからのことに他ならぬ。
社会科学・文化理論・哲学・などになると、文献と引用との科学的・又非科学的・役割は、遙かに大きくなり又露骨になる。社会学の書物の或る種の一群を見ると、凡ての書物の内容の大半が相互の引用によって占められて
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