いる場合さえあるのだ。支那訳を媒介とする仏教教典を古典的文献とし、それからの文句及びカテゴリーの引用によって今日の現実の社会現象・文化現象・を分析しようというのは、日本の僧侶学者や夫につらなる一群の精神運動家達のやり方である。国学の古典から社会理論体系や政治学組織や経済理論までを導き出そうというのは、日本の復古主義的・伝統主義的・国粋論的・封建主義的・な反動日本主義者の政治イデオロギーであることを、読者は知っているだろう。
そこにあるものが事実、如何にフラーゼと引用とによって、論旨の要点を支えられているかは、一見して明らかだ。その極端なものは、古代神話の叙述からの文献的引用を以て、現実の社会の理解の鍵としようとするのである。周代の社会機構に基く処の、或いは寧ろ漢代に這入って、社会のイデオロギーとして定着したところの儒教の古典から、直接の引用・間接の解釈・を以て徳川期の社会機構に君臨しようとしたものが、所謂腐儒であったとすれば、日本古代社会の機構を離れて、国学的な引用を以て二十世紀の日本的現実を理解しようという者は、何と呼ばれるべきであろうか。――だが之は単に極端な戯画にすぎない。ここ
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