ていい人間がどこにあるだろうか。人間性と文化とは直接に一態である。だから科学の文化上の観念は、正に素人観念でなくてはならぬ、ということになろう。文化ということは率直に云えば、つまり本当の常識ということである。
そればかりではない。科学は全く民衆のものでなければならぬ、というのが、今日の要求である。文化というからには、又政治と云うからには、民衆のものであるのは当然だからである。科学が日常生活に食い入らなくてはならぬというのは、科学が専門家の専有物や、専門家からの天下りの物だということの反対で、つまり科学は素人自身の産むべきものだということだ。して見れば科学という観念は、素人のものでなくてはならぬ。素人の自主的な観念の筈である。
こう考えて来ると、科学というものが何か、ということは、科学専門家の上からの指令で決まるのではなくて、一般世間人の良識が夫に対して発言権、否、決定権をさえ有っている、ということになるだろう。多くの反対もあると思うが、私はとに角そう云っていいように考える。多くの反対は、結局、常識というものの果している役割をあまりよく反省して見ない処から来るのである。つまり民衆とか
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