、今日提出されているのだ。科学という観念が(科学内容の夫々ではない)政治的な観念となる、またなっている、ということには、語弊もあり又事実上の弊害をも伴うかも知れないが、併し何と云っても之は科学そのものを発達させる社会的な動力になることは明らかなのだし、科学とは何か、という科学そのものの観念の本来の所在を突き止めさせるという必要は好い性質をも持っている。
科学が政治と同様に専門観念ではなくて素人観念らしいということは、之だけで略々見当がつこう。カントは進歩的な哲学は、「学校概念」によるべきではなくて「世界概念」によるべきであると云ったが、科学というものについても亦、世間的[#「世間的」に傍点]観念が支配することが、進歩的であるように思われる。
この説明で不満ならば今日科学は、ただの科学として持ち出されているのではなくて、全く文化問題として持ち出されている、という点を私は注意したい。元素の人工破壊も、「科学とは何か」という設問では、物質観の進歩、新エネルギー源の着想、等々という人知の発達、社会厚生、其の他其の他の問題である。それは思想や社会の事件である。処で一体、文化に対して素人であっ
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