ものでもあり、素人は政治上の発言権を何かの形で必ず持っているのである。之はあの漫画化された「自由主義」や「デモクラシー」でなくても、そうなのだ。政治は悪い意味に於てさえ、常識のものとされている。科学についても、政治のように云えるかどうか、という問題が起こるのである。
 もし科学は政治などと違って、そういう素人観念にぞくしてはならぬもので、専ら専門観念のものだとすれば、今まで説いてきた常識(素人の良識)というものは、科学という観念について何の発言権もないことになる。またもしその反対ならば、仮に科学の一つ一つの旧い又新しい知識やプログラムについては別としても、科学とは何かという科学の観念は、常識からの発言権に俟つ処が、多大でなくてはならぬことになる。
 処で、現下に於て、科学が要求され尊重され愛好され、云々、しているのは全く一つの社会的要求からである。科学の偉力を示すものは科学自身でしかあり得ないが、科学の必要を説くのは決して科学自身ばかりではないのだ。社会が科学の必要を説くのである。科学自身をして科学自身の必要を説かしめるものも亦実は主として、社会なのである。之は正に、政治的な観念として
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