科学的常識というものが、運動の「統一的な場」となっていると云っていい。
 これは科学者という特別な一群(之が所謂専門家なるものとされているのだが)についての事情であるが、この構造はそのまま一般の世間人の全体についても行なわれているのである。科学的常識なるものは、常識の一部であるからには、一般の科学をも包括するより広い常識につらならなくては、常識とは云えない。素人の一般常識(常識とここで云うのは良識のことなのだが)と連絡を取らない専門科学的常識なるものは、恐らくは科学的な「常識」ではあり得まい。常識=良識という場面に於ては、専門科学者も素人であったり、一般世間の素人も専門家であったりする。
 こう考えた上で、一つの疑問が起きるのだ。一体科学という観念は(変な言葉を使うが)専門観念であるか素人観念常識観念であるか、と。政治という観念は、文明開化した国家や社会に於ては、専門観念ではなくて素人観念である。と云う意味は、政治を実際に取り扱う政治の専門家は特別にいるし、又そういう政治専門家の専門的な政治知識なるものもあるのであるが、それにも拘らず、政治は政治専門家の専有物ではなくして、政治の素人の
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