、そういう良心とは、反対なものだ。専門の一芸に真に通じるものは、おのずから専門外の領域に就いても、よい批判者でありよい理解者である。これは願望でなくて事実なのだが、そういう事実こそが、優れた専門家の良心であり良識であり常識であろうというものだ。
 科学者のこういう科学的常識[#「科学的常識」に傍点]の有無は重大な問題である。科学的常識を有っていない科学者というものは、いくらでも厳存するのであるから、この常識の有無の重大性が充分のみ込めるだろうと私は思う。併しここではすでに科学者の科学的常識が問題である。すでに常識である。して見るとこれは単に専門の科学者についてだけの問題ではないのである。所謂素人、一般世間人自身についても直接関係のある事態であるはずである。専門家なるものは、とりも直さず他の領域にたいしては素人である。甲の科学者は乙の科学者に対して専門家であるが、テーマを変えれば反対に乙の方が甲に対して専門家である。科学者の世間というものはお互に素人と専門家とであるところの多数の人間によって出来ている組織だ。ここでは運動の相対性と同じに、絶対的専門家や絶対的素人はない。そこでは先に云った
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