見当をつけているのか、この常識は? と云うのである。
 一般の世間人は科学にたいしては素人である、素人の他に専門の科学者がいる、と考えられている。それはその通りである。だから専門家である科学者から科学を教えて貰えばよい、科学とは何かということも専門科学者に聴けばよい、と考えられている。それも一応はそれでいい。吾々は原子や原子核の性質についてはその専門の物理学者に聴かない限り全く見当もつかない。遺伝の事実については専門の遺伝学者に教えられない限りは危険でさえある。そしてそういう専門の知識を全く欠くなら、今日の科学の現状を知っているとは云えない。今日の科学の現状を大体知らないでは、科学とは何かということも判らない。
 併し又、科学者なるものは、言葉通り分科の学問[#「学問」は底本では「学門」]の専門家であるということも忘れてはならないのである。科学者は自分が専門とする対象の研究に精通しているだけ、それだけ専門の知識に対しては慎重である。之は良心的なことなのだが、併し、慎重ということが、専門外のことは之をその専門家に一任して省ないという一種の責任のがれを意味するなら、それは却って人間的慎重さ
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