#「合法則性」に傍点]に対応するものを云うのである。それ故実在の認識とは事実上与えられた体験を合法則的に順序づけられた全体の一部分として云い表わし又理解するこの「全体的世界形像」のことに外ならぬ。それ故吾々が感覚生理学の事実をとり入れる時カントの空間及び時間の思想の上に立ちながら吾々はカントの説を超えて行かねばならぬものである。
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きものがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の感能によって、直接に知り得る[#「直接に知り得る」に傍点]と考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に[#「直接に」に傍点]認識することは出来ない。ただ出来るだけ
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