見方であるとする。併し因果的に見るということは後のものを前のものの関数を現わす法則として見ることに外ならぬのであるが思うにかかる法則は独り後のものを前のものの関数として現わすのみならず又前のものをも後のものの関数として一義的[#「一義的」に傍点]に決定するものでなければならぬ。それ故実は継起は前へも後へも同様に[#「同様に」に傍点]辿れるものなのである。現在から未来へ辿る所謂因果的な見方がそれに対立する見方よりもより多く行なわれるということは全く未来が吾々にとって全く未知であるから特に興味を惹くということのために過ぎない。何れも同じ因果的な土台の上に立つと云わねばならぬ。勿論結果を惹き起こす Verursachung などという概念を用いるならば二つの見方が同一の土台の上に立つとは云い難いであろうが前にも述べたようにかかる概念は合法則性の記載的な意味を超越したものである以上、かかる概念に基くと考えられる目的概念は科学から之を捨て去って了わねばならぬ。かくして自然科学にとっては目的論の成立する余地はないのである。
 それ故カントに於て見出されるこの問題が実際に大きな意味を持つものとは考え
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