とを許されるものであるならばこのことは到底不可能と云わねばならぬ。それ故今や吾々は因果律の数学的な概念に対してのみ可能であるような形式上厳密な妥当性をもはやあらゆる経験の不可欠の特徴であると云うことは出来ないであろう。ある点でかの最高の厳密さを欠いた経験否全然之を含まない経験ということも考え得ると思う。物理学に於ける量子論なども之であると考えられる。
 近代の自然科学が因果律に対してそれに固有な特殊の位置を与えたということはカントの立場とよく一致することである。ただカントがその証明をば、吾々は至る処過去の経験なくしても因果律が妥当するかの如く事実上振舞い得るという事実[#「事実」に傍点]に求めたことは、時間及び空間の表象に於けると同じくカントの精神が純論理的な見地に立ちながらもなおカントが妥当の問題と心理発生論的問題とを完全に区別しなかったことを示すものである。

   四 生物の目的論的考察

 吾々は目的と云えば第一に思惟するものによって欲せられたもの目論みられたものを考える。即ちそれは意志の概念に帰する。併し勿論之は生物の目的論的考察の対象とはならない。第二に考えられるものを私は
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