の空間的な表象を全然捨て去って全然抽象的な数学的な形式に拠らねばならぬ[#「空間的な表象を全然捨て去って全然抽象的な数学的な形式に拠らねばならぬ」に傍点]。かくしてのみ吾々は真に終局的な実在認識としての「全体的世界形像」に到達し得るのである。然らば時間表象はどうであるか。物理的世界形像が仮定する処の吾々は外界を直接に認識し得るということから、自然科学は認識に現われないものを取扱うことは出来ぬということが引き出されるのであるが相対性原理は正に之によって成立する。而してミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之によれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。併しカントも云う通り時間は外界の関係が与えられる形式であるのみならず心理的体験の形式である。それ故時間そのものを含まない物理的世界形像はなお断片又は部分に過ぎぬであろう。ミンコーフスキーの世界は終局的な全体的な世界形像とは考えられないと思う。それ故又併し時間表象は世界形像から或る範囲に於て[#「或る範囲に於て
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