。吾々の今アプリオリテートと呼ぶものは之とは異って一般に感性的知覚は空間的な形式をとるという意識の性質、即ち空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わす[#「空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わす」に傍点]ということでなければならぬ。併しカントのアプリオリは単に之だけでは尽されない。寧ろ多くのカント学徒によればカントのアプリオリ説は心理発生的な意味でのアプリオリではなくして論理的な[#「論理的な」に傍点]関係を取り扱うものなのである。吾々の知識の種々なる部分の間にその妥当の論理的な関連[#「妥当の論理的な関連」に傍点]があるということを主張するものなのである。それ故ある命題に論理的なアプリオリテート[#「命題に論理的なアプリオリテート」に傍点]があるとはそれが経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして他種の明白さを持っている[#「経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして他種の明白さを持っている」に傍点]ということである。かかる意味でのアプリオリに解すればもはや概念や表象のアプリオリテートなどとは云うことは出来ない。論理的アプリオリテートはただ判断に就いてのみ云い得ることである。それ故ただ空間に関する[#「空間に関する」に傍点]一定の命題[#「命題」に傍点]即ち幾何学の公理のみが論理的アプリオリテートを持ち得る筈である。そしてこの公理の持つ明白さは空間表象の性質そのものに基く明白さなのである。それ故この場合の判断は、分析的ではなくして、Reflexionsurteil と謂われるであろう。吾々はかくして空間表象のアプリオリテートの二種を厳に区別せねばならぬ。
空間表象と同じく時間表象に就いても継起するものから区別された時間的な規定[#「時間的な規定」に傍点]、あらゆる出来事の不変な基礎となる時間のアプリオリテートを考えることが出来る(心理発生的)。それと共に又経験の特殊な内容から論理的に独立な命題を考えることも出来る。勿論この命題は分析判断と呼ばれるものではなくして時間表象の特殊の性質にその基礎を得る反省判断である。例えば過去と未来への無限の同様な拡りとか、それが完全に同様な部分から成立しているとか、はそれである(論理的)。
数の表象に就いては数はまず第一に固定した与えられた意識内容であり数え
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