全体に回転運動を与えるとしたのは誤りである。後者は力学上不可能でありラプラスの如きは回転運動は始めから与えられたものと見た。併し此の点を除いてはたとえ今日に至るまで天体の発達史の確実な見方が得られないためにこの仮説が如何なる範囲に於て正当であるかを決定することは出来ぬとしても、この仮説の核心そのものの正しい事は疑うべくもない。風の理論其の他に関するカントの仕事を数え尽すことは茲では不可能であるであろう。ただ最後に生物界に就いての研究を一言しなければならぬ。カントは嘗て有機体の形態が不変であるか変化し得るかの問題を考察したことがあるがそれは「種々なる人種に就いて」にも論じられてある。又後に至って今日の進化論の思想を単に漫然とではなく実に疑う余地のない程明らかに述べている。ただそれがあまり知られないのはカントがこの問題を独立に論ぜずただ判断力批判の処々で触れているに過ぎないためでもあろう。何れにしてもカントの自然科学上の仕事の特徴を明らかにすればそれは彼が主として思想家[#「思想家」に傍点]であったという処にある。而も彼は与えられたる事実を鋭利に確実に追求する思想家であるばかりではなく又自由な創造の想像力によって広範な世界に住し既知のものから前人未発の真を見出して科学の研究に新しい刺戟を与える底の思想家であったということにあると思う。

   二 カントの数学の説

 カントの最も一般的な思想の一つは吾々の精神生活の内に這入る凡てのものは吾々の意識[#「吾々の意識」に傍点]の内に与えられねばならぬということである。「主観性」とは之である。然るに吾々の意識の見渡し得ない程の多様の内吾々の知覚の或る特殊のものは常に不変であり、経験の或る特徴は必然性と厳密な一般性とを持っている。さて感性知覚の空間的な形式は之に属するものであり、カントはまずかかる意味に於て空間はアプリオリな必然的表象である[#「空間はアプリオリな必然的表象である」に傍点]という。吾々はかかるアプリオリをアプリオリの概念の心理発生的解釈[#「アプリオリの概念の心理発生的解釈」に傍点]と呼ぶ。併しこのアプリオリテートを個々の対象が互いに順序づけられて現われる方即ち視覚の optische Lokalisation と考えるならばヘルムホルツがカントを攻撃したようにかかるアプリオリテートは明らかに否定されねばならぬ
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