う(第六章を見よ)。こうして一切の意識内容や文化形象は、イデオロギーの論理的範疇論によって処理されるのである*。
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* イデオロギーの論理学乃至範疇論は、意識や文化の心理学的・社会学的・研究を決して除外するものではない。却って之こそがイデオロギー論の肉付けとなるものである。同様に、併し更に重大なことは、イデオロギーの論理学乃至範疇論が、イデオロギーの歴史的記述[#「歴史的記述」に傍点]を除外する処ではなく、却ってそれ自身、具体的な内容から云えば、イデオロギーの歴史の原理的な記述[#「原理的な記述」に傍点]だということである。一体論理とは存在の歴史的必然性の反映に外ならなかったからである。
[#ここで字下げ終わり]

[#3字下げ]二[#「二」は小見出し]

 イデオロギーが意識として規定される側面から云うと、イデオロギー論は、イデオロギーの心理学・論理学・範疇論となった。今度は之を一つの歴史的社会的存在として規定する側面から、イデオロギーの社会学(そう仮に呼ぶとして)へ行こう。
 イデオロギーの社会学と云うと、人々は多分、社会学が近来好んで取り扱おうとする「イデオロギー論」を思い出すだろう。だが後に見るように、吾々の[#「吾々の」に傍点]「イデオロギー論」は社会学者達の考える「イデオロギー論」――それは結局文化社会学[#「文化社会学」に傍点]乃至知識社会学[#「知識社会学」に傍点]の特殊な形態に過ぎない――とその根本性格を異にしているだろう。それと同じに、茲で今社会学と呼ばれるものは、社会学者達が立つ一つの立場[#「立場」に傍点]や彼等が用いる一つの方法[#「方法」に傍点]ではなくて、イデオロギーという意識的――夫はつまる処論理的――社会存在物に就いて、特に夫の論理学的でない契機[#「論理学的でない契機」に傍点]の観察を意味するものに外ならない。意識を他の諸存在から区別する最も著しい特色の一つは、近代の哲学者達が好く指摘しているように、価値[#「価値」に傍点]を担っているという点にあるが、その価値が、真理として――理論的・芸術的・道徳的・宗教的・真理として――常に論理的価値[#「論理的価値」に傍点]を意味しなければならない、吾々は論理の概念をそういうものとして規定しておいた。そこで今、意識(イデオロギー)のこの重大な特色を一応捨象して、即ちその論理学的契機を一旦無視して、他の一つの[#「一つの」に傍点]特色、契機である処の、夫が一つの歴史的存在物だという点だけを取り出したものを、イデオロギーの社会学と呼ぼうというのである。――実際所謂社会学は後に見るように、歴史的社会的存在の価値的規定を度外視することを一貫した特色としているだろう(第二部参照)。「社会学」は事物を評価[#「評価」に傍点]することを欲しない。
 イデオロギーの社会学なるものに併し、も一つの制限を加えておく必要がある。イデオロギーは、すでに述べたような色々な意味に於て社会の上部構造[#「上部構造」に傍点]であったが、上部構造という限りそれは社会の下部構造[#「下部構造」に傍点]の上部構造でなければ意味がない。そこで、イデオロギーの社会学は恰も、専らこの下部構造と上部構造との連関を明らかにすることを課題とするだろうように見える。――だが、社会の下部構造――技術的・経済的・政治的・社会的・部面――であっても、唯物史観によれば、社会の必然的な歴史的発展に於ける弁証法的[#「弁証法的」に傍点]諸契機から構成されているのであって、その限り之は論理的構造[#「論理的構造」に傍点]を有つのであるから(イデオロギーはこの論理的構造を論理的価値関係――夫が論理学[#「学」に傍点]的だ――として反映するのであった)、前のイデオロギーの論理学と雖も、矢張りイデオロギー(上部構造)と下部構造との連関を明らかにすることを課題としないではいられないのであった。だから、上部構造としてのイデオロギーを下部構造との連関に於て明らかにするのは、何もイデオロギーの社会学にだけ与えられた課題なのではない。それは本来イデオロギーの論理学の課題にぞくする。
 今必要なことは、之ではなくて、イデオロギーに固有な――他の歴史的社会的諸存在から区別された――歴史的社会的構造を取り出すということなのであるが、イデオロギーに固有な歴史的社会的構造と云えば併しその精髄は論理的[#「論理的」に傍点]構造に外ならないのだが、今は却ってこうした論理的なアクセントを全く引き去って了った残留物としてのイデオロギーが有つ処の、社会的歴史的構造を取り出して、それだけ又別に[#「別に」に傍点]考えねばならない。そうしなければイデオロギーの論理学は終局的には具体化されず、イデオロギーの現実的な運動情勢は取り出されずに終るだろう。こうしたイデオロギーの没論理的構造[#「没論理的構造」に傍点]を取り扱うものを、イデオロギーの社会学と呼んでおこう、というのである。
 実際、所謂――ブルジョア的――社会学[#「社会学」に傍点]が提供する社会の歴史的な又は非歴史的な諸関係形式は、その立場[#「立場」に傍点]をさえ除外したならば、弁証法的骨髄――論理的乃至論理学的原理――によって貫かれるべき社会科学[#「社会科学」に傍点]の豊富な内容となることが出来るだろうし、又そうならなければならぬのである。

 吾々は今、主に文化形態としてのイデオロギーの没論理的な歴史的社会的構造として、イデオロギーの二つの契機[#「契機」に傍点]乃至二つの形態[#「形態」に傍点]を対立せしめそして連関せしめよう。ジャーナリズムとアカデミズム。
 普通世間でジャーナリズムと呼ぶものは、大抵新聞紙[#「新聞紙」に傍点]に関係した事物を指すようである。併し云うまでもなく之は単に新聞紙又は一般に新聞現象に関係したものばかりを指すのではなくて、広く、雑誌とかキネマ・劇壇・ラジオ等々という現代に特有なイデオロギーの社会的諸物体の関係物を指している。そういう社会的諸物体を生産し又そういう諸物体を機関として表現されるような社会的意識[#「社会的意識」に傍点]・イデオロギー――の現代に於ける[#「現代に於ける」に傍点]――一形態が実は、この場合のジャーナリズムの意味なのである。ジャーナリズムは、その限りイデオロギーの――現代に特有な[#「現代に特有な」に傍点]――一形態[#「形態」に傍点]である。実際今日の所謂ジャーナリズム――それはブルジョア・ジャーナリズムと呼ばれるべきだが――は近世に於ける欧洲の商業ブルジョアジーの台頭によって、今日の形態への萌芽を植えつけられた。十六世紀のヴェニスには近代的新聞紙[#「近代的新聞紙」に傍点]の最初のもの(Notizie Scritte)が出たし、十七世紀初頭のフランクフルトアムマインやアントワープやロンドンが之に継いで新聞紙を発行している。それ以前のものは同じく新聞紙と云っても近代新聞紙の諸特徴を具えてはいなかった*。
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* 併しブルジョア・ジャーナリズムが今日の隆盛[#「隆盛」に傍点]を来すに至ったのはフランス革命を契機にしてであったと云われる。
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 処が他方ジャーナリズムは、もっと立ち入って考えて見ると、報道物[#「報道物」に傍点](Nachrichtenwesen[#「Nachrichtenwesen」は底本では「Nachrichtenwessen」])――そういう一つの交通関係[#「交通関係」に傍点]――に外ならないとも見られねばならない。そうすれば夫は一切の過去の又現在する諸民族の――原始民族さえの――生活のある処に悉く伴うものでなければならぬ。この点から見ればジャーナリズムは決して、現代にだけ特有なイデオロギーの形態なのではない。
 併しそれがどれ程古い時代からあったにせよ、報道乃至交通というこの後の意味でのジャーナリズムも亦、人間生活の物質的な生産諸関係――社会の下部構造――に対する上部構造であるという点で、依然としてイデオロギーの資格を持っていなければなるまい。そうすれば之は、イデオロギーの――現代にだけ特有であるような――歴史的一形態[#「歴史的一形態」に傍点]ではないにも拘らず、なおイデオロギーの――云わば本質的[#「本質的」に傍点]な――一契機[#「一契機」に傍点]であると云わねばならぬ。
 元来イデオロギーは、社会の上部構造の、時代々々によって異る諸形態[#「諸形態」に傍点]――イデオロギー形態――を意味すると共に、又社会の上部構造一般[#「一般」に傍点]――単に[#「単に」に傍点]イデオロギー――をも意味する筈であった(前を見よ)。このようにしてイデオロギーの云わば本質的な契機[#「契機」に傍点]と歴史的な形態[#「形態」に傍点]とを媒介することが、イデオロギーという弁証法的[#「弁証法的」に傍点]概念なのであるが、ジャーナリズムも亦その通りである。ジャーナリズムとは、一方に於て本質的な――昔から常に存在した――報道乃至交通関係というイデオロギーの一契機でありながら、同時にそれが、歴史的必然性に従って、今日の所謂ジャーナリズム(ブルジョア・ジャーナリズム)というイデオロギーの一形態にまで発展して来なければならなかった、その所以を弁証法的に物語る概念なのである。
 ジャーナリズムは、普通それが任意の視角からどう見られようと、イデオロギー論の問題として取り上げられるのでなければ、統一的に解明出来ないのであるが、之をイデオロギー論の視角から取り上げると、之に対立するものは是非ともアカデミズムでなければならない。――処でアカデミズムも亦、一方に於て、現在の大学や研究所というインスティチュートを生産し之によって又生産される処の、イデオロギーの現代に固有な歴史的一形態[#「歴史的一形態」に傍点]であると共に、他方に於て古来存在するイデオロギーの本質的な一契機[#「本質的な一契機」に傍点]でもなければならない*。今日のアカデミズムは欧洲の諸大学が宗教的束縛から実質的に脱却したことからその形態を決定されたのであるが、すでに他方ギリシア時代の昔からアカデミズムは存在した、例えばイオニア学派[#「学派」に傍点]・ピュタゴラス学壇[#「学壇」に傍点]・プラトンのアカデミー等々。
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* 時代によっては「アカデミー」と「大学」とは対立する。十七世紀の欧洲はその例であろう。併しこの対立は科学や文芸に於ける進歩的なアカデミーと反動的な大学との対立なのだから、イデオロギーの論理学にとっての対立であって、没論理的なこのイデオロギーの社会学の上での対立ではない。それで今の場合、アカデミズムという範疇は主として大学を云い表わすと見ても不当ではない。
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 だがジャーナリズムとアカデミズムとはどう対立[#「対立」に傍点]するか。
 ジャーナリズム(Journalism)という言葉はカエサルの官報である世界最古の新聞紙 Acta Diurna(日報)から来たと云われている。Diurna ――それが Journal と訳される――は日々(Jour)に関するものである。だから Journal とは、主観的には日記(例えばアミエルの Journal intime)などを意味するし、客観的には新聞紙[#「新聞紙」に傍点]などを指すこととなるのである*。ジャーナリズムとは、こうした日々[#「日々」に傍点]にぞくするものが一つの原理[#「原理」に傍点]となったものに外ならない。
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* 新聞紙に就いては拙稿「新聞現象の分析」(『法政大学哲学年誌一九三二』【本全集第三巻所収】)を見よ。
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 でジャーナリズムが日々[#「日々」に傍点]の、その日その日の[#「その日その日の」に傍点]、生活[#「生活」に傍点]と関係していることを先ず
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