ト、自らを意識する(之に反して、とも角も社会の分析から出発して意識を取り扱おうと企てたのはデュルケムの勝れた見地であった)。処で従来の所謂心理学は個人心理の――実験的乃至内省的――研究をその勝れた性格としていたから、この新しい――社会的――心理学は、まず第一に従来の心理学に対する批判として理解される。従来の所謂心理学の対象であった個人心理に対してそれ相当の限界を指し示すことによって、社会心理学は、何か個人心理以外のものにその対象を求めねばならない。夫は従来の心理学と同様な意味に於て、とに角一つの心理学[#「心理学」に傍点]でありながら、この従来の心理学にとって適切な固有の対象であった処の個人心理の限界の外へ眼を向けようとする。夫は個人的意識[#「個人的意識」に傍点]の概念に立ちながら(だからそれは従来と同じ意味での心理学[#「心理学」に傍点]であることが出来た)、個人的意識以外のものと想像されるもの――社会心[#「社会心」に傍点]その他――を取り扱おうとする。それは元来凡ゆる意味で内部的である個人[#「個人」に傍点]の意識を何かの意味で社会[#「社会」に傍点]にまで外部化そうとしながら、却って、自分自身は元の内部的な見地に立つことを固執する。ここにすでに初めから、方法と対象との間の行き違いのあるのを忘れてはならない。社会心理学が、社会の分析からではなくて、その名の通り意識の分析から出発する限り、今云った内部矛盾の運命を免かれることが出来ないだろう。――吾々はこの運命がどういう形で実際に展開するかを見よう。
意識の分析から出発する社会心理学は第一に、社会の心理学的研究[#「社会の心理学的研究」に傍点]の形態をとる。W・マクドゥーガルは、社会に関する諸科学の専門家達が心理学に対する素養に乏しいために、諸社会科学が正常な見透しを欠きはしないかを警告している*。この見方からすれば、社会の諸事象は、心理学的見地――意識から出発する――に立つのでなければ、正しく理解・説明・記述出来ないと考えられる。否、心理学的見地に立つことだけが、心理学的[#「心理学的」に傍点]――それは結局個人心理学的――方法だけが、唯一の社会学的[#「社会学的」に傍点]方法となる。そして若し社会学が、社会を何か人間の心と心との関係というようなものと考える限り、社会学自身の側からもこの主張は承認されねばならない筈である。――かくて社会[#「社会」に傍点]の諸事象は意識[#「意識」に傍点]によって、意識を説明原理として、初めて説明されることとなる。吾々は処で――前にも云ったが――凡そ存在を意識によって説明せねばならぬと考える仕方を一般に観念論と名づける。今や社会は、即ち又歴史は観念論的歴史観――云わば唯心史観――によって説明されねばならなくなる。このようにして社会心理学[#「社会心理学」に傍点]の本質は、第一に、観念論的歴史観[#「観念論的歴史観」に傍点]を意味するのを注意しなければならない。この場合の社会心理学の宿命から云って、この多少悲劇的な乃至は寧ろ喜劇的な結末は必然であった。
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* 「心の構造と作用に関して確実な真理の体系を建設することを要求し、又この知識を洗練し増加しようと努める処の心理学が、之まで、凡ての社会科学がその上で成立すべき本質的な共通の地盤としては、一般的に又実際的に承認されなかったということは、注目すべき事実である。」(McDougall, An Introduction to Social Psychology, Introduction)。
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社会心理学のこの観念的歴史観を最も露骨に示すことを恐れなかったものは、最も勝れた代表的な社会心理学者G・ル・ボンである。彼によれば、著しい歴史的な出来事は、歴史家達によって之まで決して充分な説明を与えられることが出来なかった。その理由は何より先に歴史家達が心理学的見地に立つことを忘れたからなのである。歴史家達は、歴史を動かす人物の性格――指導者や群衆の――心理に関して殆んど全く無知であった。歴史的運動の初めの衝撃は、往々人々の想像するように群衆によって与えられるのではなくて、却って幾人かの指導者達によって与えられるのであるが、この衝撃に従ってその後の運動を実行に移すものは矢張り群衆でなければならない。だから著しい歴史的諸事件は皆、群衆による運動として結果しているのである。で歴史の運動を結果する動力は、群衆[#「群衆」に傍点]に、而かも群集の心理[#「心理」に傍点]に、横たわる。この群衆の心理を知らなければ、歴史の真の原因は見出すことが出来ず、従って歴史は不可解な謎となるだろう。――処が群衆の心理の特色は、それが決して理性的な論理を以ては動かないという点に存する。そこで支配するものは本来の推論ではなくて一種のアナロジーに過ぎず、原始人[#「原始人」に傍点]に見出だされると同じい感情の論理に外ならない。ル・ボンは之を「集合論理」(logique collective)と名づける。「群衆精神」(〔l'a^me des foules〕)は至極衝動性[#「衝動性」に傍点]や暗示性[#「暗示性」に傍点]に富み、丁度催眠状態と同様な一種の無意識[#「無意識」に傍点]現象を呈するのであるが、其処に動くものが、この集合論理なのである。この論理に於てはもはや理知はその部署を捨てているから、その限り夫は一種の神秘的な力によって動かされる。論理は信念[#「信念」に傍点]――信仰[#「信仰」に傍点]――に場所を譲らなければならぬ。群衆の精神を動かすものは宗教[#「宗教」に傍点]であるということになる。だから歴史を動かすものも亦、今群衆を動かした処の宗教である。歴史の原動力は、理性ではなくして宗教である。――処が歴史家達は、群衆の心理のこの特色を知っていないがために、歴史的出来事の結局の原因を突き止めることに成功することが出来なかった、彼等は歴史が何か合理的な意識によって指導されるかのように想像しているからである。こうル・ボンは主張する*。この観念論的な歴史観に立って、彼によれば歴史家達が説明し難い最も不可解な歴史現象と考えるフランス革命を、説明するのに成功したと彼は考えている**。
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* G. Le Bon, Psychologie des Foules ; Les Opinions et les Croyances 及び 〔La Re'volution franc,aise et la Psychologie des Re'volutions〕 其他参照。――なおこの種の論理の解明はリボーやタルドの夫とは全く軌を一つにしていることを注意すべきである。
** 〔La Re'volution franc,aise〕 ……を見よ。
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ル・ボンによる巨大な一連の社会心理学的研究の諸労作は、現代に於ける唯心史観の、恐らく最も恰好な見本であろう。なる程之まで、歴史の合理的な原因が首肯出来る程度に与えられなかった場合、このような――意識による――説明も亦、夫が一応統一的である限り、決して無益ではない。だが吾々は今、このような史観が一般にどのような欠陥を有つか、それが又どのような社会的勢力と結合しているか、又それからル・ボン自身がどのように俗流的な無責任な結論を引き出だすか、などに就いて語る必要を有たない。問題は、社会心理学[#「社会心理学」に傍点]という科学が、このような場合――意識から出発する場合(そうでない場合もあった筈であるが――前と後とを見よ)――如何に観念論的歴史観[#「観念論的歴史観」に傍点]に到達せねばならないかを、この代表的な社会心理学者ル・ボンに於て見ることが出来る、という点に存在する*。
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* ル・ボンの『群衆心理学』は最も重大な古典的文献であるが、それに対する批評も亦決して少なくない。それに就いては 〔G. Mu:nzner, Oeffentliche Meinung und Presse〕 を見よ。
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(この場合に於ける社会心理学なるもの――そして之は何もル・ボンだけの社会心理学に限られてはいない――の、科学としての性格は、だからすでに明らかである。人々は従って、之が階級社会に於て事実上演じる役割が何であるかを容易に知ることが出来る。)
ル・ボンの群衆心理学を、独特な仕方で補ったのは――再び――フロイトであった。フロイトはル・ボンの群衆心理学の内に、自分の Tiefenpsychologie と同じ結論を見出す*。ル・ボンは、群衆の心理が至極催眠状態に似ていることを指摘し、群衆が原始人と同じ意識状態に置かれるものであると主張する。之等の記述はフロイトが見た精神の規定と誠に能く合致するだろう。併し何より大事な一致は、ル・ボンが群衆心理を一種の無意識現象と見た点に横たわっている。群衆は自主性を失った無意識の内に行動する。処が無意識こそはフロイトによれば、精神の深い奥底であった。ル・ボンが群衆心理に於て見た処のものは、今云った限り、実はフロイトが精神――それは併しまだ群衆の精神ではない[#「群衆の精神ではない」に傍点][#「まだ群衆の精神ではない[#「群衆の精神ではない」に傍点]」は底本では「まだ群衆の精神ではな[#「だ群衆の精神ではな」に傍点]い」]――に於て見た処のものである。だからそこで、フロイトの精神分析は、ル・ボンの群衆心理学にまで移行して然るべきではないか。こうやってフロイト精神分析学は社会心理学――特にここでは群衆心理学――の領域へと進出する(フロイト主義による社会心理学一般[#「一般」に傍点]に就いては二に於て述べた)。フロイトはル・ボンの群衆心理学をどう補ったか。
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* S. Freud, Massenpsychologie und Ichanalyse (2 Aufl.) ――以下之による。
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ル・ボンによる無意識の概念と、フロイトによるそれとの間には併し、見過すことの出来ない一つの根本的な相違が横たわっている。外でもない、フロイトの無意識は、その特有な一部分として欲望の抑圧[#「抑圧」に傍点]されたものを含んでいた。そしてこの抑圧されたものとしての無意識こそ、フロイト精神分析の理論と技術との槓杆だったのである。フロイトは理論のこの槓杆を用いて、精神の諸現象を説明[#「説明」に傍点]しようと企てる。そこで群衆心理も亦、フロイトによって同様の仕方で説明され得なければならない。ル・ボンは群衆心理の特徴を単に記述[#「記述」に傍点]したに止まる、精神分析は、之を原理的に説明[#「説明」に傍点]することが出来る、というのである。群衆が一種の催眠状態に陥ることは何を意味するか、群衆が原始人の意識状態に還るとは何の意味であるか、何故群衆は無意識的に原始的・反社会的な行動をとるのか。凡そ群衆によって生じる精神のこれ等の諸変化はフロイトによれば、リビドーと社会による夫の抑圧とによって説明されるわけである。――人間の精神はただ社会的歴史的(乃至遺伝による)強制によってのみ原始状態から引き離されている。人間の原始的な自己愛[#「自己愛」に傍点]のリビドーは併しただ抑圧されて眠っているだけで、決して死んでいるのではない。原始的な自己愛のリビドーが有つ直接的な性的欲望と、目的の実現を抑圧された性的欲望とが、同時に存在するのが愛着[#「愛着」に傍点](Verliebtheit)ということであるが、その際愛着の相手が自我理想――超我――となり、直接な性的欲望の目的実現が禁じられたのが、催眠の現象である。催眠(愛着も亦)は二人の人間の間の関係であるが、群衆[#「群衆」に傍点]とは恰もこの催眠を複合した処のものである。ここに群衆心理が催眠状態と同じで
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