うしなければマルクス主義的イデオロギー論の、革命的な角を取ることに成功しそうもないからである。知識社会学はその味方からイデオロギー論の出現を待望せねばならぬ。知識社会学の中心問題はイデオロギー論に集中されねばならぬ。ブルジョア社会学の陣営内に於ても、知識社会学はイデオロギー論とならねばならない必然性があるだろう。――併しそのためには又特別な地盤を必要とする。自然主義的・実証主義的・形而上学的・な見方は、処で、事実そのような地盤を提供し得ない。残るものは歴史主義[#「歴史主義」に傍点]でなければならない。マルクス主義が独逸観念論の必然的な発展であることを忘れない限り、歴史主義――ヘーゲルこそ或る意味でその代表者であった――こそは之を覆すに役立つ唯一の密偵であるように見える。
かくてK・マンハイムの「歴史主義的」な知識社会学が「新学説」として重大となるわけである。吾々は彼がマルクス主義的イデオロギー論を、如何に人々に近づけ、そして又如何に之を永久に人々の手からもぎ取って了うかを、見よう。
マンハイムによれば、知識社会学は思惟の社会学[#「思惟の社会学」に傍点]、又は認識社会学[#「認識社会学」に傍点]であるべきである。という意味は、知識社会学の最も重大な問題はイデオロギー論にあるというのである。何故なら知識社会学なるものは常に必ず何かの革命思想の流れから生じる一つの問題なのであるが、従ってそれは当然、例えばコントとかマルクスとかが夫々の階級の革命思想を表現したように、階級によって色分けされているものなのであるから*。――さてそこでまず第一に思惟は決して単に思惟として止まることが出来ず、必ず「みずからを超越して」存在する、ということをマンハイムは注意する。思惟は必ず例えば感情・意志・直覚・神秘的恍惚・又は実践などにまで、みずからを超越しないではいられない。思惟はこのようにして「自己を相対化す」性質を有っている。思惟[#「思惟」に傍点]は自己のこの相対化によって、存在[#「存在」に傍点]との連関を避けることが出来ない。処でもしそうとすれば次に思惟は、思想は、特に社会的[#「社会的」に傍点]な存在の内に発生する処の、一つの存在であることを注意することが必要である。思想は社会的に制約された意識・観念である。併しこの時、意識は単なる個々の諸観念を意味するのでは充分でない、一定の組織を持った「観念体系」の概念が必要となって来る。このような観念形態[#「形態」に傍点]こそ、イデオロギーの概念であった。さてこのようなものが知識社会学の成立のための要素である、知識社会学がイデオロギー論とならねばならない理由は茲に与えられた**。
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* K. Mannheim, Das Problem einer Soziologie des Wissens (Archiv f. Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. 63, 1925) S. 593.
** 同じく S. 589―90.
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思想は夫々理論上の――「精神上の」――「立場」に基いて性格づけられる、そして立場は又「問題」によって決定される。それ故或る一時代[#「時代」に傍点]に存在する諸思想は、「問題の星座分布」によって位置づけられることが出来る。併しながら、この問題[#「問題」に傍点]や立場[#「立場」に傍点]が歴史的[#「歴史的」に傍点]に生起することを忘れてはならない、それは「社会上」の立場[#「立場」に傍点]――「精神上の」に対して――と関係せられることによって初めて捕捉されることが出来る*。精神上の・体系としての・立場と、社会上の立場とを、このように関係づける処に、思惟の社会学の本来の仕事が初めて生じて来る。思惟が存在と連関する仕方は併しながら、必ずしも、思惟が直接に[#「直接に」に傍点]「利害関係によって動かされる」ことには限らない(マンハイムによればマルクス主義的イデオロギー観は之だという)、そうではなくて、より広義に之を理解して、思惟が間接に[#「間接に」に傍点]利害関係によって動かされること、思惟が存在と「関数関係にある」こと、“Engagiertsein”[#「“Engagiertsein”」は横組み] と呼んで好いようなもの、がそれであると考えられる。思惟のスタイルは、世界観のスタイルという迂路を経て初めて、経済的・政治的・組織に対応せしめられることが出来る。階級という社会層が、世界観的な意志を経営する精神層を通じて、初めて、精神上の――もはや社会上のではない――立場に交渉するのであると考えられる。それ故認識社会学――イデオロギー論――の主な目的はこうなる。まず第一に、歴史の或る一時代に就いて精神上の・体系としての・諸立場を求め、次に之を夫々の世界観――形而上学的予想――の生きた根幹にまで溯源せしめ、第三にこの世界観を経営する世界観的な意志にまで之を帰属せしめ、第四に之を相抗争しつつある精神層に対応せしめる。そうして初めて第五に、この精神層が夫々どのような社会層――階級――に裏付けられているかを見ることになるのである**。
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* Mannheim, Ideologie und Utopie にこの点は詳しい。なお彼の一般的な立場に就いては “Historismus”[#「“Historismus”」は横組み] を見るべきである。
** Mannheim, Das Problem einer Soziologie des Wissens. S. 642―652.
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このように計画された認識社会学――イデオロギー論――が、知識社会学の他の場合とは異って、政治[#「政治」に傍点]乃至政治学[#「政治学」に傍点]と直接の連がりに置かれることは、容易に想像されるだろう。このような知識社会学にして初めて、理論[#「理論」に傍点]と実践[#「実践」に傍点]との関係を、従って理論と歴史との関係を、問題らしいものとして取り上げることが出来るだろう。今まで述べて来た他の知識社会学は然るに、そうではなかった*。
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* “Ideologie und Utopie”[#「“Ideologie und Utopie”」は横組み] は政治学が科学として如何にして可能であるか――理論と実践との問題――を問題にしている(S. 67 ff.)。ユートピアはそして、常に政治的な関心の下にのみ生れた。因みに、マンハイムによれば、存在が観念を通り越したのがイデオロギーであり、之に反して、観念が存在を通り越したのがユートピアである。
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さて、こう云って来ると、マンハイムのイデオロギー論は、マルクス主義的イデオロギー観の、マンハイム的名辞を用いた、一つの展開であるかのように見えるかも知れない。けれども、この外貌上の・個々の・一致にも拘らず、その根本的な性格に於て、之は全く反マルクス主義的であるだろう。尤も、それには何の不思議もなかった筈だが。
マンハイムの歴史主義[#「歴史主義」に傍点]に於ける歴史の概念は、それがトレルチの系統にぞくすることからも想像出来るように、無論決して唯物史観ではない。歴史的とは彼にあっては「あくまで精神的」であることであり、イデオロギーの下層建築も「精神的なものに外ならない。」そればかりでなく、下層建築と上層建築とは、即ち多少とも物質的なものと優れて精神的なものとは、「交互的」関係に置かれている。と云うのは、上層と下層との区別は、単に全く精神的なるものと多少とも物質的なるものとの区別にしか過ぎず、それは存在の構造上の被規定者と規定者との区別でもなければ、分析方法や叙述方法の上での優位者と劣位者との区別でもない*。両者は凡ゆる点に於て同格・対等の位置に置かれるというのである。
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* 前掲論文 S. 632.
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であるから従って又、歴史は必ずしも歴史的必然性[#「必然性」に傍点]によってのみ動くものとは考えられない。同時に、個人の・英雄の・意欲によって、それは自由に、可能性[#「可能性」に傍点]に於て、動くことが原則的に在り得なければならないと考えられる。ここでは必然性と自由とが、同列に於て混合[#「同列に於て混合」に傍点]される。それ故歴史上の変化に就いては、かの実証主義の精神であった科学的な歴史的予言―― 〔voir pour pre'voir〕 ――はもはや充分に成り立つとは限らない。何時ムッソリーニが出現するかも知れず、何時超論理的な――ソレル的な――暴力[#「暴力」に傍点]が力を振うかも知れない。その時、政治理論は少くとも歴史理論であることを止めねばならないだろう。――レーニン主義はムッソリーニ主義に又はソレル主義に、同列に於て[#「同列に於て」に傍点]、結び付けられねばならぬ。真理はコンミュニズム+ファシズム(又はアナーキズム)の内に横たわる。その問題の位置・その立場・を全く異にする二つのイデオロギエンは、どのような立場[#「立場」に傍点]によってであるかは知らないが、幸にして結合し得るものでなければならない。――之がマンハイムの所謂政治学[#「政治学」に傍点]なるものである*。
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* 以下 Ideologie und Utopie を見よ。
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夫々のイデオロギーはその立場からする夫々の「遠近法」を持っている、イデオロギーは凡てその意味に於て、相対的ではないにしても「相関的」(relationistisch)でなければならない、と考えられている。処で例えばコンミュニズムとファシズムとのように完全に相対立する遠近法を、彼は如何にして相関化すか。ここでも亦一つの特有な立場が必要であるだろうがそれは何か。それは労働者の立場でもなければ資本家の立場でもなく、又ファシストの立場でもない、そのどれでもなくて、恰もインテリゲンチャ[#「インテリゲンチャ」に傍点]の立場であると云うのである。イデオロギエンの間の是非の判決を与え得る特権を有つものこそ、この恵まれたるインテリゲンチャの任務だと云うのである。蓋しインテリゲンチャは「自由に浮動する中間物」であるから。而も更に喜ばしいことには、恐らく教育の普及によって、資本家はもとより労働者でもが、次第にインテリゲンチャの層に繰り入れられて行くことは明らかであるから、中間層は次第に膨張しつつ益々有力となって行くに相違ない。多分今にインテリゲンチャ独裁の日も来るのであろう。――だが併しこの秀でたるインテリゲンチャは如何にして例えばコンミュニズムとファシズムとの是非を判定するか。恐らく現実――この公平無私な現実――が歴史のこの時期に於て、人々――この公平無私なる人間性――に向って示しつつある「面貌」(Aspekt)に一致するような、そのような理想的な・「理想主義的」な・「解釈」に依ってであるだろう。処で事物の是非を判定[#「判定」に傍点]するには無論夫の解釈だけでは充分ではない、そこには恐らく何等か形而上学的[#「形而上学的」に傍点]な――措定的な――予想が必要であるように見える*。
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* 例えば P. Eppstein はマンハイムに従って云っている、妥当性の基準は論理範疇的な形式の内にはなくして、「形而上学的判定の明白感の内に求められねばならぬようである」と(Die Fragestellung nach der Wirklichkeit im historischen Materialismus, Archiv f. Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. 60, 1928)。
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