るものが、第一に吾々へ批評の糸口を与えているのである**。
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* シェーラーによれば現代は正に、此等三種の「精神の一面的な方向」を「平均し」「補欠」すべき時である。処が併し、そのすぐ後で、「総ての知識は終局に於て神性からの、神性に就いての、――従って神性への、神性のための、知識である。」(Scheler, Formen des Wissens und die Bildung, S. 38 f.)
** シェーラーはマックス・ヴェーバーに反対して、形而上学を単なる世界観から区別する。というのは形而上学は単なる世界観ではなくて Setzende Weltanschauung でなければならない、と云うのである。即ち彼は(自分の)形而上学的体系に対して、世界観説的な乃至は歴史学派的な懐疑をすら有たない([#横組み]“Weltanschauungslehre, Soziologie und Weltanschauungssetzung”[#横組み終わり] 参照)。
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宗教はただ或る特殊の宗教思想系統にぞくする人々にとってのみ一種の知識[#「知識」に傍点]であることが出来る。他の人々にとっては却ってそれは知識――又文化さえ――の内に数えられてはならないとさえ考えられるだろう。それはそうとして、もし仮に宗教が一種の知識であり得るならば、夫は恐らくコントが名づけた通り、神学的[#「神学的」に傍点]なものと呼ぶ外はないだろう。そして神学が独立な――実証科学と対抗出来るような――知識[#「知識」に傍点]であるためには、即ち神学が一つの真理[#「真理」に傍点]を無条件的に人々へ説得する機能を有ち得るためには、それはその科学性の上では形而上学[#「形而上学」に傍点]以外のものであり得ないことを注意すべきである。シェーラー自身も亦示している通り、宗教と形而上学とは、実証科学に対立しては同じ側に立つ。宗教が知識であるためには、神学が学であるためには、その学問性(科学性・真理性)は――他の点ではどう違おうとも――形而上学と同じでなければならない。尤も、神学とは歴史的に与えられた特殊の体験――信仰という――を解明又は基礎づけ又は擁護する学問なのだから、単なる形而上学とは根本的に別である、と云うかも知れないが、併し形而上学こそ、歴史的に与えられた特殊の体験の、解明・基礎づけ・擁護・ではないか。ただその特殊な体験というのが、必ずしも宗教的な信仰ではないというまでである。而もそれすらが殆んど凡ての場合宗教的ではないだろうか。人々は今日、一切の形而上学[#「形而上学」に傍点]に神学[#「神学」に傍点]を見出すことが出来はしないか*。――そしてシェーラー自身がその好い一例に外ならなかった。
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* コントの所謂三段階説は、実は二段階説なのである。何故なら、人間の知識は神学的な段階から実証的な段階に移行するというのがコントの根本的な思想なのであって、ただ之が一遍で移行出来ないために、中間の過渡期として、形而上学的な段階が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されるに過ぎないから。――それ故コントにとっても、形而上学とは、実証科学に成り切れない内の神学的残滓を意味するわけである。こう考えて見ても、形而上学の内に神学が見出されるのは当然である。
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吾々はかくて宗教を知識の内から追放する。宗教は――それが原始的な知識[#「原始的な知識」に傍点]でない限り――知識社会学にはぞくさない。――残る問題は、形而上学[#「形而上学」に傍点](又は哲学)と科学[#「科学」に傍点](実証科学が之を代表する)との関係に横たわる。
形而上学(シェーラーは茲で優越なる意味での哲学一般を意味せしめる)と実証科学、哲学と科学、は無論絶対的には一つではない。両者はたしかに一応の区別を有つ。前者が体系[#「体系」に傍点]の内に安定し、後者が累積的進歩[#「累積的進歩」に傍点]の道をたえず追っているという、シェーラーの指摘は必ずしも誤ってはいない。実際例えばプラトンの哲学は古典として今日に至るまでたえず人々を――夫に同情する人々をもそれに反対する人々をも――支配している、哲学に於て単なる「死せる犬」は存在しない。自分自身で哲学的に物を考える時、このことは何人にとっても証明されることだろう。而も之は、例えばガリレイの自然科学が古典として有っているのとは非常に異った[#「非常に異った」に傍点]意味を有っていることも確かである。――けれども両者のこの相違、この区別は絶対的[#「絶対的」に傍点]なのではない、二つのものの間には動的な媒介がないのではない。シェーラーは処が、この区別を、人類と共に永遠な、本質的な、動かすべからざる、絶対的なものと考える。――或る個処ではカントの範疇ですら単にヨーロッパ人の思惟の範疇表に過ぎないと云っているこの自由主義者も、事一旦、形而上学に及べば、忽ちにして一種の絶対主義者となって現われるということを、人々は注意すべきである。
哲学も実証科学も、それが科学性に基いた学問であるからには、之を取り行なう人は、かれが賢者であると聖者であるとに関わることなく、まず第一に何よりも研究家[#「研究家」に傍点]でなければならない筈である。哲学も科学も、不断に研究を進め[#「研究を進め」に傍点]られねばならず、従ってその研究は累積して進歩[#「累積して進歩」に傍点]して行かねばならない筈である。もし進歩展開の余地を持たないような完成した体系が存在するならば、それは事実上学問としてではなくて予言としてでもあろうか。ただこの進歩の仕方が哲学と科学とでは重大な相違を――但し絶対的な相違ではない――示すことが出来ると云うまでである。前者に於ては進歩は云わば螺旋状をなし、後者にあっては之に反して云わば transitive(強いて云えば直線的)に行われる。前者に於ては、歴史的展開の一定の意味での弁証法的形態が、比較的顕著であり、後者にあっては之に反して、その弁証法的形態は低度である、というに過ぎない。例えば哲学上のプラトン主義は常に何かの形をとって思想の歴史の上で回帰して来る。だがプラトン自身の体系[#「体系」に傍点]がそのままの形を以て回帰して来ることは出来ない。哲学が螺旋状をなして進歩する所以である。又例えば観念論は螺旋の反対の極に立つ唯物論と対立する。二つは相互に否定し合う。哲学の進歩が全体として、図式的に、優れて弁証法的である所以である*。――実証科学は然るに必ずしもそうではない、そこでは同一主義の学説が回帰するとは考えられず、又は事実回帰すると考えられるような場合があっても、その回帰は哲学に於てのような重大さを持つとは思われない。実証科学の進歩が云わば[#「云わば」に傍点]直線的な所以である。その限り実証科学に於ては、対立と否定とがそれ程著しい役割を果さない、何となれば対立や否定は常に前のものの正統的[#「正統的」に傍点]発展――修正――の外形の下にも行われることが出来るからである。哲学が優れて革命的であるに反して、実証科学がそれ程に革命的――弁証法的――でない所以である。寧ろ之は改良主義的な外貌[#「改良主義的な外貌」に傍点]を有つことも出来るだろう**。――この区別は決して軽視すべきではない。
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* 哲学の著しい政治的性格・党派性は、この螺旋の切線のヴェクトルを考えて見ることによって、画に書くことが出来る。例えば螺旋内の観念論という一点に於ける切線のヴェクトルは、唯物論という一点に於ける切線のヴェクトルと方向が正反対であるが、前者のヴェクトルをそのまま後者のヴェクトルの上にまで平行移動させれば、前者は茲に反動的な役割を持って来る。――この平行移動を時代錯誤[#「時代錯誤」に傍点]という。
** この点に就いては曾て分析を試みた(拙著『イデオロギーの論理学』一五三頁【本巻七二ページ】以下)。
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併しこの区別、螺旋型と直線型、革命型と改良型、この区別は、決して絶対的なのではない。何故なら、直線型の曲線も任意の適当な部分を限界すれば、その内では螺旋型をなし、改良型と見えた全体も之を任意の適当な部分に区分してその部分内で見る限り、革命型をもつことが出来る、というのが、実証科学の歴史的発展の実際なのであるから。両者は同じく[#「同じく」に傍点]弁証法的に展開する。ただ夫々異った[#「異った」に傍点]条件の下に弁証法的であるに過ぎない。人々はかくて両者の区別を――その弁証性の区別をも――絶対的にではなく、正に弁証法的に理解すべきである。――この時哲学と実証科学とは初めて有機的に媒介されることが出来る(単なる区別はまだ少しも媒介ではない)。実証科学をそれだけで全体だと[#「それだけで全体だと」に傍点]見るならば、それは非弁証法的とも考えられる――数学や物理学はその意味で形式論理のものだと考えられる。かくて実証科学は弁証法的な哲学から絶対的[#「絶対的」に傍点]に区別されるだろう。之に反して之をそれを含む全体に於て[#「それを含む全体に於て」に傍点]見るならば、実証科学は哲学と同じく弁証法的でなければならぬのである。実証科学の非弁証性は哲学の弁証性の、弁証法的な意味に於ける部分となる。――哲学と科学とはこのような特定な意味に於て弁証法的統一を有っている(自然弁証法が問題になるのは取りも直さずこの点に於てである)。
さてこう考えると、今云って来たような哲学が、恰も形而上学[#「形而上学」に傍点]の反対物であることを人々は気付くだろう。何となればこの哲学の性格は弁証法[#「弁証法」に傍点]にあったのだから。そこで、吾々は前に宗教・神学を問題外に追放したが、今度は形而上学をも追放しなければならなくなる。形而上学とは、もはや一つの独立[#「独立」に傍点]な知識の種類ではなくて、弁証法的な知識に対する不完全[#「不完全」に傍点]な知識に過ぎなくなったのだから。今や、形而上学は、もはやシェーラーに於てのように哲学を代表することは出来ない、それは哲学の新しい代表者たる弁証法の反対者として、積極的に追放されねばならなくなった。かくて純粋に単なる哲学――もはや形而上学ではない処の――と実証科学とが残される。その両者が処で、特定な意味に於て弁証法的統一をなしたのであった。――哲学と実証科学とを絶対的に区別することが如何に無意味であるかを知るためには、人々は一寸、社会科学のABCをのぞいて見れば充分だろう。一体社会科学は哲学ではなくて科学であるのか、又は科学ではなくて哲学であるのか、そして社会科学のどこまでが科学であり何処からが哲学であるのか。
シェーラーの絶対的な三種の知識の区別は、このようにして止揚される。
コント流の知識三段階説に対するシェーラーの批判は無力に終ったかのようである。啓蒙期フランスの思想の一変容である実証的精神[#「精神」に傍点](esprit)は、人間的理性の過信・歴史的不合理性の否定・であり、之に反してドイツ的「精神」(Geist)は歴史の尊重を意味する、と普通考えられないでもないに拘らず、茲では関係が逆になって現われる。知識[#「知識」に傍点]が真理へ接近する過程に於て歴史[#「歴史」に傍点]が受け持つ役割は、少くともコントに於ては実証科学への推移として受け入れられているが、之に反してシェーラーに於ては却って斥けられる。真理[#「真理」に傍点]に対して歴史が持つ決定力、歴史的原理[#「歴史的原理」に傍点]は、シェーラーにあっては問題となることが出来ない。コントの思想自身がシェーラーによれば、歴史的発展段階[#「歴史的発展段階」に傍点]に相応するものでなくて、却って云わば何等か地理的分布[#「地理的分布」に傍点]に関わるもののようである。実
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