l・シェーラーから始まったとも云うことが出来るだろう。だがそう云っても、実質に於て知識社会学の名を以て呼ばれて好いようなものが、今までに無かったと云うのではない。それ処ではなく、或る意味では、知識社会学こそ社会学の最も古い領域であり、寧ろ之こそが社会学の本来の領域であったとさえ云うことが出来る。社会学を社会学として始めたものはオーギュスト・コントであるということになっているが、彼が企てた社会学は二つの目標を持っていたように見える*。第一は科学的な政治学の建設であり、第二は知識の段階づけと科学の有機的な分類であった。第一の政治的関心と第二の科学論的知識学的関心とは併し、無論直接な連りを持っている。なぜなら第二のものは実証的[#「実証的」に傍点]精神の他の精神に対する、即ちガリレイ風の物理学[#「物理学」に傍点]の他の科学に対する、優越を説明しようとするのであって、単に歴史的な又尚更百科辞典的な興味からではないのであるが、処がこの実証主義はとりも直さず――コント自身の言葉に依れば――プロレタリアにのみ固有な、否プロレタリアにのみ教えられ得る(教えるのが誰だかは後として)、哲学であるのだから。神学は上層階級の、形而上学は中流階級の、そして実証主義的科学は下層階級の、哲学なのである**。知識[#「知識」に傍点]の進歩は社会層の政治的[#「政治的」に傍点]勢力の消長に対応せしめられる、知識学が知識社会学[#「社会学」に傍点]の形態を取らねばならなかった理由が之である。であるから、コントの社会学にとっては、知識社会学[#「知識社会学」に傍点]がそれの本来の領域をなしていた、と云っても、云い過ぎではあるまい***。
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* コントに好意を持たない人々のためにコントの先輩サン・シモンを置きかえても好い。
** コント的プロレタリアは併し、自己の実証哲学の宣伝によって人間をキリスト者・人類にまで変革する。産業的な資本家は資本と実証哲学とを持つことによって勤勉なプロレタリアとなり又であることが出来るわけである――次を見よ。之こそがコントの言葉を借りれば「偉大なる革命」なのである(A. Comte, Discours sur l'esprit positif[#「positif」は底本では「postif」]. ※[#ローマ数字20、172−上−21] 其他)。
*** 知識社会学が社会学一般の成立の動機をなしたのは、単にコントの場合ばかりには限られない。ドイツではフィヒテやシュライエルマッハーに於てそうであったと云われる(〔K. Dunkmann, Soziologische Begru:ndung d. Wissenschaft. ――Archiv f. systematische Philosophie und Soziologie, Bd. 30〕 参照)。
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 併し、コントの実証主義、コント的プロレタリア科学は、実は、ブルジョアがプロレタリアに教える処の「プロレタリア科学」である。実証主義的社会学はかくて、ブルジョア即ちプロレタリアという不思議な「階級性」を担っている*[#「*」に対応する注記が底本では欠落している]。併しこのプロレタリアが実は同時にブルジョアと同じ階級性を有つのであったから、この平和なる「第三身分」はかの有名な「人類」――而もキリスト者――である外はなくなるであろう。であるから、わがプロレタリアは、階級性を担うその瞬間に、もうすでに超階級的な人間性となって了うわけである。社会学はブルジョア的階級性――それがコントではプロレタリア的階級性と考えられる――を持つ瞬間に、階級性一般を失う。その限り、社会学は階級性を有ちそして[#「そして」に傍点]有たない(無論貴族や僧侶との階級的対立はすでに過ぎ去っている)。之は云うまでもなく全く不合理[#「不合理」に傍点]でなければならないだろう(尤もかかる不合理の成立はコントの時代の政治的条件によって合理的に説明されるのではあるが)。社会が、歴史的社会的存在が、単なる社会・社会一般・超階級社会である限り、そして「社会学」なるものが人々の云うようにこのような単なる社会的存在一般[#「一般」に傍点]の学である限り、社会学は合理的となり得ない。実際ここでは、社会学は成立しそうに見えながら成立出来ない。社会学は一切の科学の総合であり一切の科学の王でありそうで、一切の科学の食客である。全く社会学は自己矛盾的存在とならねばならぬだろう。
 総合社会学のこの不合理性は、社会学に思い切って階級性[#「階級性」に傍点]――その歴史的・政治的・原理――を与えるか、又は思い切って初めから之を拒むか、の二つの道によってしか合理化され得ないということが、ここから結果する。思い切って社会学に階級性を認めることは、社会の歴史性[#「歴史性」に傍点]を合理的に理解[#「理解」に傍点]することであり、初めから社会学に階級性を拒んでかかることは之に反して、社会の歴史性を合理的に排斥[#「排斥」に傍点]することによって、却って合理的な一種の社会学を造り出すことである。後の方の手続きを選んだものが、就中、かの形式社会学[#「形式社会学」に傍点]であった。処が今日の所謂社会学[#「社会学」に傍点]は、この後の方の手続きを選ぶ点に於て、多少に拘らず、形式社会学に属する。それであればこそ、第一義的に見て大して存在理由のなさそうに見える形式社会学も相当な存在理由を見出すことが出来るのであった。丁度、総合社会学が存在し得られそうに見えながら、必ずしも[#「必ずしも」に傍点]存在し得るとは限らない、と反対に。
 さて知識[#「知識」に傍点]の社会学――それは社会学の本来の領域でもあった――も亦従って、知識という社会的存在から歴史性=階級性を天引きすることによって、合理的となることが出来る。実際、予め知識からその歴史性――歴史的原理――を引き去っておけば、後は安心して自由に、恐らく天才的に、歴史的事実[#「事実」に傍点]を引例することも出来るだろう。マックス・シェーラーの知識社会学は、この要領を見逃さなかった最も代表的な場合である。

 正にシェーラーは、コントの社会学から、その歴史的原理を完全に引き去るためにこそ、コントのかの歴史三段階説(尤も之はすでにサン・シモンにあるのであるが)を批難することから始める必要があった。それがミルやスペンサー等に関わると、マッハやアヴェナリウス等に関わるとを問わず、コントの実証主義に帰着する三段階説は、彼によれば「根本的に誤っている」のである。三つのこの段階は、科学発展の歴史的な順序に於ける段相を意味すべきではなくて、実は元来、人間精神の本質と共に与えられた三種類の永劫な精神態度と認識形式なのであるから、例えば一つのものが他のものに代って位置を占めたり、他のものの代理をつとめたりすることは出来ない。三つのものは、斉しく神話的な物の考え方から分化して来た、平行して同時に存在し得べき、類型[#「類型」に傍点]である。この三つの完全に異った動機、認識精神のこの三つの完全に異った群別と作用、この三つの異った目標、この三つの異った人格の類型、この三つの異った社会群――この三つのものの上に、宗教[#「宗教」に傍点]と形而上学[#「形而上学」に傍点]と実証科学[#「実証科学」に傍点]とが成り立つのに外ならない*。この三つの精神的勢力の歴史運動の形態も亦、本質的に相異っている、とそうシェーラーは云っている**。
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* 三種類の知識を次のようにも呼ぶことが出来る、――「救済の知識」(例えば釈尊の宗教)、「教養の知識」(例えば孔子やソクラテスの形而上学)、「労作(労働)の知識」(例えば科学者の科学)。
** 〔M. Scheler, U:ber die positivistische Geschichtsphilosophie des Wissens.〕 (Moralia,[#「Moralia,」は底本では「Moralia」] S. 31―33)
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 知識はかくて、その凡ゆる規定に於て、その指導者の類型に於て、その淵源と方法とに於て、その運動の仕方に於て、その社会的な群集の仕方と社会に於ける機能に於て、そして最後に、階級・身分・職業に於て、凡そ三つに分類されねばならない*。宗教に於ける指導者は僧侶[#「僧侶」に傍点]、形而上学では賢者[#「賢者」に傍点]、科学では研究家[#「研究家」に傍点]。そして宗教は教会・宗派・信徒団に於て、形而上学は古代的な意味での学校に於て、科学は知識の共和国・アカデミーに於て、初めて存在することが出来る、と考えられる。科学の研究家[#「研究家」に傍点]はそして、哲人(賢者[#「賢者」に傍点])のようには、全体的な・終結した・体系[#「体系」に傍点]を与えようとは欲しない、彼はただ、科学という無限[#「無限」に傍点]の過程[#「過程」に傍点]を、どこかの一点で進行せしめれば好い**。科学は、その特定の内容が普遍史的発展の或る特定の一点に於てのみ通達され得るように、そういうように、「累積的な前進」をなす。形而上学は――そして宗教も亦――然るに、之に反して、夫々の条件に於て、一応の完成[#「完成」に傍点]をもつことが出来る、諸々の形而上学は、一定数の諸類型のどれかに帰属することによって、一応の完備を持つことが出来る、それが「範疇的構造」を以て働くことが出来る所以である***。そうシェーラーは考える。
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* M. Scheler, Probleme einer Soziologie des Wissens. (Versuch zu einer Soziologie des Wissens, S. 55.) ――この論文は一つの重大な増補と共に、後に、Die Wissensformen und die Gesellschaft に載っている。
** 〔U:ber d. positiv. G―Phil. d. W., S. 35.〕
*** Probleme einer S. d. W., S. 24 ff.
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 コントの根本的な誤謬は、シェーラーに依れば、事実上分化の過程[#「分化の過程」に傍点]に過ぎないものを、彼が時間上の発展段階[#「発展段階」に傍点]と思い誤った処に横たわるということに帰着する。
 さて吾々は、以上述べたシェーラーの批評を批評することによって、吾々の理論を始めよう。
 まず第一に注意せねばならぬ点は、シェーラーが実証主義に対して与える殆んど予言者的な否定である。三種の知識が時間上の段階をなすのでなくて同一物からの――同時存在的な――分化にすぎないという主張は、一応、実証主義的な偏極に対する公平な或は寧ろ折衷的な訂正であるかのようにも見えるが*、実は、之によって実証主義[#「主義」に傍点]に対して宗教――及び形而上学――を保護しようとする処の、云わば護教学的な形而上学主義[#「主義」に傍点]が云い表わされているのを見逃してはならない**。実証科学は生物的な人間の目的に仕えるための知識にしか過ぎない。宗教と形而上学とこそ homo sapiens に固有な貴重な「専売」物なのである。彼はそう云って権威あるものの如く説く。中にも彼によって考え出された処の[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]の生れながらの随喜者 homo religiosus は、ネアンデルタール人にもクロマニヨン人にも到底見出されなかったであろうことは確実である。彼は「科学主義者」コントに対する「信仰主義者」――僧侶主義者――として、自己を高めようと欲する(それ故にこそシェーラーによって初めて真の知識社会学は開始されなければならなかったわけである)。併しこの[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]な
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