ス。で、シェーラーの文化社会学に於て精神[#「精神」に傍点]であったものはフロイト主義に於ては社会[#「社会」に傍点]となるのである。――だから、シェーラーにとっては文化は精神そのもの[#「精神そのもの」に傍点]に過ぎないが、処がフロイト主義にとっては、文化は精神が社会[#「社会」に傍点]の框を通った結果[#「結果」に傍点]でなければならぬ。前者に取っては衝動から直接に文化(精神)へである。後者にとっては、衝動(精神)から社会へ、そして社会から初めて文化へ、である。――そこで人々は注目しなければならない、シェーラーの文化社会学[#「社会学」に傍点]にとっては、社会は必ずしも文化概念の構成過程に横たわらなくてもいいということを、然るに、フロイト主義的文化理論にとっては却って、社会が文化概念の欠くべからざる構成過程をなしている、ということを*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* フロイト主義文化理論に就いては第六章を見よ。
[#ここで字下げ終わり]
文化「社会学」で恰も社会という概念そのものが軽んじられているという、この多少皮肉な特色は、要するに、所謂文化社会学がまだ文化社会学としての機能を充分に果していないことを物語っている。と云うのは、ヴェーバーの文化概念を衝動との交渉にまで齎したシェーラーは、更に之を少くとも、フロイト等と同じ程度に、衝動そのもの[#「そのもの」に傍点]にまで徹底させなくてはいけなかった、ということなのである。そうしなければ、文化社会学は――文化の形而上学・哲学にはなろうとも――文化の社会学[#「社会学」に傍点]にはなれないと云うのである。――だがそうすれば又、精神と衝動との――夫は要するに天国と地獄との対立からの類推だと云って好いが――根柢的な区別は廃止されなければならない。と云うことは、文化[#「文化」に傍点]と文明[#「文明」に傍点]との根柢的な区別への執着を忘れねばならぬ、ということである。処がそれは又、文明から保護されるべきである限りの文化[#「文化」に傍点]という概念を無用に帰着させることに外ならない。そうすると、之は文化社会学の元来の使命――文化[#「文化」に傍点]概念の救済[#「救済」に傍点]――を、放擲することである。だから文化社会学としての文化社会学は又放擲される。――文化社会学は、文化社会学[#「社会学」に傍点]である[#「ある」に傍点]ために、文化[#「文化」に傍点]社会学でなく[#「なく」に傍点]ならねばならぬ。文化社会学それ自身が、今やこうした中途半端な矛盾の過程なのである。
[#3字下げ]四[#「四」は小見出し]
併し、吾々は何も、文化社会学がフロイト主義的文化理論にまで帰着しなければならぬなどと云いたいのではない、無論決してそうではない。フロイト主義的文化理論は元来それ自身に重大な制限を有っているのだから、たとい夫が文化社会学の一つの制限[#「一つの制限」に傍点]を指摘し得た処で、決して夫の代用物などにはなれない(第六章を見よ)。文化社会学の以上の如き矛盾を解くには、文化社会学はイデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]となる外に途を有たないのである。そしてそれは(マルクス主義的)イデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]の外にはないのであった。文化はイデオロギーとして取り上げられねばならないのであった(第一部を見よ)。
所謂文化社会学――その本質が何であるかを吾々は今まで見て来たが――は併し、云うまでもなく、自らをイデオロギー論から峻別しようと欲する。現に、アルフレッド・ヴェーバーによる審美的象徴・詩的表現としての文化は、到底、経済的・階級的・基底の上に立つ上部構造[#「上部構造」に傍点]――イデオロギー――ではあり得る筈がなかったし、又マックス・シェーラーによる文化社会学は、彼によって経済史観とか実証主義とかと特色づけられるイデオロギー論に対しては、恰も文化が文明に優越するだけそれだけ、優越していなければならない筈であった。――でイデオロギー論という概念を元来承認せず、又そうでなくても之を自分のものから峻別しようとするに熱心な、多くの文化社会学者達が、自分の文化社会学がイデオロギー論に帰着せしめられようとするのを見て、頭から反対するのは誠に当然なことである、吾々は夫を非難する程野暮ではない。だがそれとは無関係に、文化社会学はイデオロギー論に帰着しない限り、文化社会学ですらあり得ない、ということは真理である。
そこで文化社会学をマルクス主義的イデオロギー論として取り上げたのは、エミール・レーデラーである。彼は――主として芸術を問題としながら――述べている、歴史に於ける文化[#「文化」に傍点]の層が仮にどれ程動的なものと考えられようとも、文化の運動の動力は、終局に於ては、文化[#「文化」に傍点]自身に在るのではない、夫は却って社会的諸関係の総体[#「社会的諸関係の総体」に傍点]の内に横たわらねばならぬ、と。彼が今茲で社会的諸関係と呼ぶものは、マルクス自身の言葉に従えば、生産諸関係[#「生産諸関係」に傍点]のことなのである。が夫がレーデラーに従えば、単に経済的・技術的な意味に於てばかりでなくて、その社会的習俗[#「社会的習俗」に傍点]をも含めて解釈されねばならない、それは「人間の生活諸関係」に外ならない、というのである。で社会的諸関係の総体[#「社会的諸関係の総体」に傍点]は、彼に従えばすでに「精神的[#「精神的」に傍点]な態度」を含んでいなければならない。――即ち精神がすでに物質の内に装置されているわけである、だから、こういう下部構造が上部構造の一方的な――もはや交互的ではない――規定者となるということは、同語反覆的に当然でなければならないではないか。だがレーデラーの文化社会学=イデオロギー論によれば、精神の物質に対する権利はこれだけには止まらない。文化層の社会学的[#「社会学的」に傍点]考察は、文化発展の可能性とか根本概念とかという文化の内部的[#「内部的」に傍点]規定が予め明らかにされた上でなければ、成り立つことが出来ない。社会的なるものは例えば劇の芸術的価値の実現の可能性[#「価値の実現の可能性」に傍点]を規定出来るだけであって、劇の芸術的価値そのもの[#「価値そのもの」に傍点]を規定することは出来ない(G・ルカーチと同じに)。それは美学的[#「美学的」に傍点]考察の高々導線となることが出来るに過ぎないものだ、と彼は主張する。彼は云っている、イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]とは、文化の自律ということと社会的な全基底が文化のこの自律の材料[#「材料」に傍点]又は条件[#「条件」に傍点]として作用するだけだということとの、概念であると。だから彼によれば、イデオロギーとは、結局精神的なるものの自律に帰着する(そして之がマルクスに対する最も忠実な解釈だそうである)。もしイデオロギーがそういうものならば、なる程彼の云う通り、農民戦争や宗教改革に於ては、イデオロギーなどは無かったに相違ない*。
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* 〔E. Lederer, Aufgabe einer Kultursoziologie (in Erinnerungsgabe fu:r M. Weber, ※[#ローマ数字2、1−13−22]) S. 152, 153, 158, 160―161, 163―165〕 を見よ。
[#ここで字下げ終わり]
レーデラーによるイデオロギー論としての文化社会学は、彼自身の意志とは関わりなく、要するに「文化社会学」であって、(マルクス主義的)イデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]などではない。それは単に――又しても――精神の社会学[#「精神の社会学」に傍点]に外ならなかっただろう*。実際レーデラーによれば、「文化の社会学的考察は哲学的唯物論[#「唯物論」に傍点]と、原理的には何の関係もない」のである**。――この状態は吾々に何を物語るか、外でもない文化社会学が「文化社会学」である限り、イデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]となることが出来ない、という既に述べた一つの事実である。だが一方文化社会学は――レーデラー自身も企てたように――イデオロギー論となるのでなければ、文化社会学でさえあることが出来なかった、それも吾々はすでに見ておいた。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* H・フライアーは文化社会学を「精神的文化の実在社会学」、「精神の実在科学」等々として規定する。そして「真に正しい形態のイデオロギーの問題」がそこでこそ取り上げられ得ると云うのである。――だが彼によれば、マルクス主義的なイデオロギー概念は、精神的連関に何等の積極的な役割をも与えない処の袋路に過ぎない。それに一体マルクス主義は、あまりに時事問題中心的であり、闘争中心的であり過ぎていけないそうである(Soziologie als Wirklichkeitswissenschaft, S. 107―109.)
** Aufgabe einer Kultursoziologie, S. 149 ――吾々はレーデラーと殆んど同じ態度の「マルクス主義」をM・アードラーの知識社会学の内にも見出さねばならぬ。「知識の社会的構造」は「経験の先験的に社会的なもの」である、社会とは、カントの空間や時間や範疇と同じに、「先験的(先天的)図式である。吾々は意識[#「意識」に傍点]と意識の法則性を最後の事実として、それから出発する」、「マルクス主義は精神的一元論から出発する」、「マルクス主義は唯物論とは何の関係もない」云々(M. Adler, Wissenschaft u. soziale Struktur ――前掲書―― S. 187, 189, 192, 210 を見よ)。
[#ここで字下げ終わり]
さて吾々は要約する時に来た。
「文化社会学」と名乗る「社会学」は、ドイツ観念論哲学――ヘーゲルのカントの又遠くはスコラからさえの――社会学的な分析に外ならない。それはドイツ古典哲学の終焉の後に、社会学という保護色の下に今日まで生きのびた、落胤である(アルフレッド・ヴェーバーの歴史主義的伝統に於ける文化社会学は、この点を最も好く代表していはしなかったか)。それは云わば一つの――尤もカルヴィニズム運動などに較べるべくもなく小規模ではあるが――資本主義の精神[#「資本主義の精神」に傍点]だったのである。だから夫は今日マルクス主義的イデオロギー論と、同じ戦野に於て正面的に対峙せざるを得ない歴史的宿命を有っている。で文化社会学は今や、資本主義のこの「精神」を、即ち又文化[#「文化」に傍点]を、その必然的な衰亡[#「必然的な衰亡」に傍点]から救済[#「救済」に傍点]するために、或いはマルクス主義と一戦を交えようとし、或いはそうでなければマルクス主義と妥協しようとする(マックス・シェーラーの文化社会学乃至知識社会学は前者であり、エミール・レーデラーの文化社会学などは後者である)。――かくて、わが「文化社会学」は、今や当然なことながら、ブルジョア観念論一般[#「ブルジョア観念論一般」に傍点]と共に、その行動と運命とを頒たねばならないだろう。「文化社会学」の終る処に、真の文化社会学[#「文化社会学」に傍点]が始まるのである。
[#改段]
[#1字下げ]第五章 知識社会学の批判[#「第五章 知識社会学の批判」は中見出し]
[#3字下げ]一[#「一」は小見出し]
「知識社会学」は文化社会学[#「文化社会学」に傍点]の一つの――併し最も主なる――部門である。吾々は今知識社会学の、論理学的[#「論理学的」に傍点]なイデオロギー条件を主として分析しよう。人々はここでイデオロギーに於て、論理的条件と歴史的条件[#「歴史的条件」に傍点]とが、どれ程完全に平行するものであるかを知るべきだ。
知識社会学は、社会学の非常に新しい一つの分枝である。それは精々
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