A折角の超個人的・社会的・意識の特色は、いつの間にか話題の外に逐放されて了っている。在るものは独立な意識という存在であって(但しそれが社会意識と形容されるのではあるが)、社会などは実は問題でさえないのである。――処でそういうものが取りも直さず観念論ではなかったか。
 さてそこで今や吾々は、超個人的意識・歴史的意識・社会的意識――そして之等のものが心理学的な術語としての意識に較べて意識という常識概念に却ってより忠実なのである――が、これまで述べてきたような観念論型の体系によっては、充分に把握出来ないということを見透すことが出来る。――意識の問題は、その提出の仕方[#「提出の仕方」に傍点]を全く新しくされねばならぬ。
 意識の問題は実は、それが意識という常識概念にも相応するためには、直接に頭初から、意識の問題自身としてでは却って解くことが出来ない。観念論的乃至個人主義的な出発によっては解くことが出来ない。意識の問題は却って、もはや一応は意識でないもの[#「意識でないもの」に傍点]の問題として、歴史的社会自身[#「歴史的社会自身」に傍点]の問題に従属することによって、初めて正当に解決への軌道に上ることが出来る。

[#3字下げ]二[#「二」は小見出し]

 歴史的社会に就いての観念論に対して、だから吾々は、歴史的社会に就いての唯物論[#「唯物論」に傍点]を、史的唯物論[#「史的唯物論」に傍点]乃至唯物史観[#「唯物史観」に傍点]を、対立せしめねばならぬ。唯物史観は決して、ブルジョア・アカデミーなどに取っての議論や批判の対象となるために生れて来たものではなく、プロレタリア階級の生存闘争の武器として発達して来たものであるから、学位論文式な観点から之を弄ぶことは全く無意味であるだけに、それだけ実質的な生きた観点から把握しておくことが何時でも必要なのであるが、今は唯物史観の一般的な叙述は省こう*。必要なのは唯物史観による社会と意識――超個人的・歴史的・社会的意識――との関係である。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 唯物史観の輪郭に就いては拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」(岩波講座・『教育科学』【本全集第三巻所収「社会科学論」】)で取り扱った。
[#ここで字下げ終わり]
 マルクスが、『経済学批判』の序文に於けるかの唯物史観の公式で、最も簡単に示している通り、物質的生産力による生産諸関係――それを人々は経済[#「経済」に傍点]関係とも社会[#「社会」に傍点]関係とも名づける――が、歴史的社会の全構築物(技術・経済・政治・法制・諸文化・諸観念を含んだ)に於て、終局の決定要因をなしている。この全構築物に於ける一切の作用の交互関係[#「交互関係」に傍点]は、この一方向きの規定関係によって、初めて統一的に組織的に秩序立てられることが出来る、と云うのである。さてこの社会に於ける生産諸関係が決定要因となって、この決定要因によって決定されるものを唯物史観乃至マルクス主義は広くイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]と呼ぶ。蓋し社会の全構築の基底をなすもの――下部構造[#「下部構造」に傍点]――が生産諸関係であり、それの上に依って立つ構築物――上部構造[#「上部構造」に傍点]――がイデオロギーだ、と一般的にまず規定しておいてよい。
 処で社会の全構築に於て、今基底にあると云ったものは、単にマルクス主義に依ってばかりではなく、何かの意味で物質的なものと考えられているだろう。仮に之までをもなお心的[#「心的」に傍点]・観念的[#「観念的」に傍点]・意識的[#「意識的」に傍点]なものと考えてみても、この下部構造と上部構造とを区別するものとして、この下部構造に於ける意識(一般的に之を代表者として)の物質的特色を指摘しなくてはなるまい。例えば衝動や本能[#「衝動や本能」に傍点](M・シェーラーやマクドゥーガル)は、これに基く精神的[#「精神的」に傍点]なものに対して、物質的と考えられている。――で下部構造がそうだとすれば、上部構造は、何か心的・観念的な性質によって特色づけられるのが当然である。だから人々は、この上部構造を捉えて、社会の「精神史」を描いたり、「文化史」や「文明史」を書こうとするのである。こうした云わば社会的なる精神、社会的人間の意欲の所産、この上部構造としてのイデオロギー、之は取りも直さずかの社会的意識[#「社会的意識」に傍点]を云い表わすに最も適切で普遍的な概念でなければならぬ。
 イデオロギーの概念がマルクス主義によって見出されたために初めて、意識の問題は、生きた具体的な歴史的規定の下に、提出されることが出来る。――だがイデオロギーの概念はこう云っただけではまだ決して明らかではない。

 イデオロギーと云う言葉は可なり不思議な意味の変遷を嘗めて今日に至っている。この言葉が、デステュット・ド・トラシやカバニスが哲学の本領として提唱した観念学[#「観念学」に傍点](〔ide'ologie〕)の名から始まったことは能く知られている。――この人達(イデオローグ)の思想によれば、凡ゆる哲学的諸問題は、観念[#「観念」に傍点](乃至意識)の研究を基礎として解答されなければならない。まず観念がその起源・発生に就いて、感覚論的[#「感覚論的」に傍点]に、従ってその限りは唯物論的[#「唯物論的」に傍点]に(何故なら例えば感覚論者エルヴェシウスはフランス唯物論者の先駆者であるから)、取り扱われねばならないのである。処がこのイデオロジー[#「イデオロジー」に傍点]の哲学史上の役割は、恰も、コンディヤックの感覚主義をば或る意味では之と全く反対の極に立っているメヌ・ド・ビランの主意的観念論――直覚主義――にまで媒介する契機に相当していなければならなかったから、本来或る意味で唯物論的な――尤もフランス風の機械論的唯物論にぞくするのであるが――出発を有っていたこのイデオロジーも、おのずからその特色を変更せざるを得なくなってきた。メヌ・ド・ビランは人間学[#「人間学」に傍点]の歴史に於ける最も重大な結節点の一つであり、人間の内面的・内部的・条件を取り扱かうことを主眼としたが、こうした内部的人間学[#「内部的人間学」に傍点]が、その思想の連りを今云ったイデオローグから引いていたことを忘れてはならぬ。
 イデオロジーはだから云わばフランス唯物論とフランス観念論――例えば所謂モーラリスト(之はモンテーニュから始まる)の如き――との中間に位する(実はすでにデカルトに於てそうであったのであるが)。之は十八世紀のフランス唯物論を標準にして云えば、その副産物又は副作用と考えられるだろう。吾々はこれを「フランス・イデオロギー」と呼ぶことが出来る。
 併しイデオロジーは、それが問題の出発点を――従ってその到着点をも――観念(乃至意識)の研究に限定して了ったから、その解決は、当然或る意味に於て観念的とならざるを得なかったのは、自然の勢だろう。ここではもはや事物は現実的な・着実な・説明を期待することが出来なくなる。それは一歩誤れば空疎な言説・科学上の徒らな大言壮語・に堕ちて行く。ナポレオンがド・トラシを指して「イデオローグの巨頭」と呼んだことは有名だが、それは恐らくこの意味に於てであったろう。こうなればイデオロジー(イデオロギー)という言葉はすでに嘲笑と非難とをしか意味しない。――そこでマルクスは、恐らくこの「フランス・イデオロギー」に対比して、ドイツの唯物論者達の観念性を指摘するために、その『ドイツ・イデオロギー』(Die Deutsche Ideologie)を書いた。十八世紀のフランス唯物論の副作用がフランスのイデオロジーであったと同じく、十九世紀のドイツ唯物論がドイツ・イデオロギーという副作用を持ったというわけである。
 無論こういう云わば綽名としての言辞は、それだけでは科学的な概念にはなれない。だがイデオロギーという言葉が、その本来の真面目な意味内容が何かあった又あるにも拘らず、同時にかかるアイロニーでもあるが、実はこの概念の根本的な実質内容を暗示している。イデオロギーは唯物史観によれば、社会の上部構造――意識[#「意識」に傍点]――であると共に又虚偽意識[#「虚偽意識」に傍点]なのである。この場合それは利害[#「利害」に傍点]や好悪[#「好悪」に傍点]によって歪曲された意識を云い表わす。
 で上部構造――広義の意識――としてのイデオロギーをもう少し分析しよう。この意識――超個人的・歴史的・社会的・意識――は併し、歴史的社会によって規定された限りの意識であった。と云うのは、仮に意識というものがあってそれが歴史的社会という存在によって限定されたとして、イデオロギーとしての意識はこうした限定を受けない前の意識[#「受けない前の意識」に傍点]を意味するのではない、そうではなくてこうした限定を受けた後の[#「受けた後の」に傍点]意識を意味するのである。処が意識という存在は歴史的社会とは一応別な存在であるから、その限り一応の[#「一応の」に傍点]自主性を有つので、一応は逆に自分が歴史的社会を限定すると考えられ得ねばならぬ。実際、吾々が歴史を造り社会を変革し得るのである。それにも拘らず、終局に於ては[#「終局に於ては」に傍点]意識が歴史的社会によって限定される、そのことはすでに述べた。では一応[#「一応」に傍点]は意識も亦歴史的社会を規定することと終局に於ては[#「終局に於ては」に傍点]歴史的社会だけが意識を規定することと、どこで異るのか、一応[#「一応」に傍点]と終局に於て[#「終局に於て」に傍点]との区別は何か。それはこうである、単独な個々の場合々々に就いて云えばその場その場限りでは意識も亦歴史的社会を決定する(同時に歴史的社会が意識を決定することは云うまでもない)、一応[#「一応」に傍点]の場合々々はそうなのである、だが意識活動の多数の場合が一群となって統一的に組織的に一定形態[#「一定形態」に傍点]を与えられるためには、逆に歴史的社会が意識を決定する外に道はない、それが終局に於ける[#「終局に於ける」に傍点]場合だというのである。
 意識としてのイデオロギーはそれ故、もはや単なる意識ではなくて、一定形態の下に歴史的社会によって決定された限りの意識――そして之こそ意識の内容ある内容なのだが――、意識形態[#「意識形態」に傍点](乃至観念形態[#「観念形態」に傍点])でなければならない。で、意識の概念はイデーの概念ではなくてイデーの諸形態[#「イデーの諸形態」に傍点]・イデオロギーの概念となる、意識の問題がイデーの問題としてではなく、正にイデオロギーの問題として提出されねばならなかった所以はここにある。
 意識形態としての社会上部構造・イデオロギーは併し、単純ではない。夫は諸段階に区別される必要がある。イデオロギーの第一の段階は与えられた経済的地盤の上に生じる政治的秩序[#「政治的秩序」に傍点]であり、第二の段階は、直接には同じく経済的地盤から、間接にはこの第一段階の政治的秩序の全体から、制約される処の社会人の心理[#「社会人の心理」に傍点]である、そして最後に第三段階は、この心理の諸特徴を反映する諸観念形態[#「観念形態」に傍点]――狭義の――だと考えられる。或いはもっと要約して云えば、政治秩序[#「政治秩序」に傍点](第一)と観念[#「観念」に傍点]・文化形態[#「文化形態」に傍点](第二・第三)とに分たれる。
 だがイデオロギーは、こうした社会的上部構造一般[#「一般」に傍点]を意味するばかりではなく、同じく政治的乃至文化的イデオロギーの間に於ても、諸イデオロギーにそれぞれの内容を入れて考える時、――そしてそのように内容を入れて考えなければ如何なる概念も形式主義的にしか把握されない――、夫々のイデオロギーが他のイデオロギーから自らを区別する処の対立[#「対立」に傍点]的特色自身を云い表わさねばならない。と云うのは、イデオロギーAがイデオロギーBと異る点に於て、
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