轤ネい――夫も亦後に吾々は見るだろう(第二部)。
[#改段]
[#1字下げ]第三章 諸科学のイデオロギー論[#「第三章 諸科学のイデオロギー論」は中見出し]
[#3字下げ]一[#「一」は小見出し]
イデオロギー論にとっては一切の文化が、その科学的批判[#「科学的批判」に傍点]の対象である。一切の文化はその本質に於てイデオロギーでなければならないからである。併し之まで一般に文化の批判と呼ばれていたもの――その代表的なものは批判主義[#「批判主義」に傍点]の哲学である――と、イデオロギー論とは無論一つではあり得ない。一体批判主義の一般的特色は何であったか。
ドイツ観念哲学の用語例に従うならば、哲学は形而上学[#「形而上学」に傍点]と認識論[#「認識論」に傍点]との二つの部門に少くとも分けられる。吾々は今は、形而上学という概念を弁証法に対立させて用いなければならない理由があるので、そこでは形而上学という概念はおのずから又別な規定を持って来ているのであるが、それは兎に角として、哲学は一応この二つの部分に分けられるとそう近代ドイツ観念論者は考える。処が当然なことであるが、この二つのものは単に二つの部門であるばかりではなく、時代々々によってそのどれか一つが他方のものに対して支配的な位置を占める。例えばカント以前が形而上学の全盛時代であり(カント以前にも或る意味の認識論はあった――デカルトやロック又ライプニツ)、カント以後のドイツ哲学はたといそれが形而上学の形を有っていてもなお且つ認識論的特色を忘れてはいないと考えられる。そして現代は又形而上学の復興――ヘーゲル復興・スピノーザ復興・存在論への動向・其他――の時代だと云われている。だがそうなると、形而上学と認識論との区別は、もはや二つの部門の区別ではなくて、実は哲学上の二つの立場[#「立場」に傍点]の区別となるだろう。所謂批判主義――それが特に喧伝されるようになったのは新カント学派の努力による――は、こうした一つの立場としての認識論として登場して来たものである。
併しこの認識論(夫はとりも直さず批判主義の最近の形態に外ならぬ)は、必ずしも言葉通りに認識理論なのではない。と云うのは、之は単に認識の理論なのではなくて、正に科学的認識[#「科学的認識」に傍点]の理論なのである。実際カントが「認識」と呼ぶものが、又「経験」と呼ぶものさえが、ニュートンの物理学によって示されるような科学的体系に近いものを指していた。バークリやロックが問題[#「問題」に傍点]とした「認識論」と、批判主義が立つ立場[#「立場」に傍点]としての認識論との、重大な相違の一つは之である。前者は認識を一つの人間的能力[#「人間的能力」に傍点]としてしか取り上げない、之に反して後者は、認識を、科学的認識を、即ち要するに科学を、認識として取り上げる。ここでは科学という一つの文化[#「文化」に傍点]が問題なのである。
批判主義は認識論の名に於て、即ち科学的認識の批判の名に於て、何をなしたか。夫はこの立場からすればおのずから科学の批判[#「科学の批判」に傍点]でなければならないが、科学に於て批判されるべきものは科学的認識の妥当性――論理的な必然性と客観性――の権利づけ[#「権利づけ」に傍点]であった。認識論はそうした意味で論理学[#「論理学」に傍点]となる(カントの先験的論理学)。――だが科学の権利づけはおのずから科学に於ける様々な意味での方法の[#「方法の」は底本では「方向の」]検討に導かれざるを得ないだろう、認識論は方法論[#「方法論」に傍点]となるのである。科学的認識――夫はこの立場からすれば取りも直さず科学自身である――の方法を検討することは併しながら、要するに一口で云えば科学即ち[#「即ち」に傍点]科学的認識の基礎の検討に外ならない。批判主義=認識論は科学が立ち而も科学自身は自覚していない科学の根柢を鮮明にしてやらねばならないと考える、それが科学=科学的認識の基礎づけ[#「基礎づけ」に傍点]と呼ばれている。
この場合、科学と科学的認識とがその本質に於て同一視されていることを何よりも吾々は注目しなければならない。と云うのは、科学は何よりも先に、その認識の方法如何によって特色づけられねばならないと仮定されているのである。科学はその対象よりも先にその方法の内に自分の本質を見出さねばならない。――科学は実在に対する社会的人間の労働による獲得物でなければならないのに、ここでは実在という対象は[#「対象は」は底本では「対照は」]抜きにして方法という観念の獲得過程だけが尊重される。方法は客観から離脱した限りの主観[#「主観」に傍点]の内で片づけられる。その意味に於て初めて、批判主義は方法論に帰着したのである*。
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* この点に就いては拙著『科学方法論』(岩波書店刊行)【前出】参照。
[#ここで字下げ終わり]
このことから批判主義に於ける「方法」の概念に根本的な欠陥を結果する。方法は科学的認識[#「認識」に傍点]という主観過程の外へ出ることが出来ない、そしてそういう科学的認識が即ち科学自身だというのだから、科学自身も亦結局一つの主観過程に還元されて了う。処が実は、科学とは、抑々批判主義自身の認識目的から云っても、一つの客観的な――歴史的社会的な――文化現象ではなかったか。で、そうすると今云ったような「方法」――科学=科学的認識の――は、少くとも科学という客観物の方法としては、不充分であらざるを得なくなる。
果して所謂批判主義によれば、科学の方法は、科学の歴史的進歩の過程[#「歴史的進歩の過程」に傍点]と絶縁された処の、単なる[#傍点]科学的概念構成の基本構造[#傍点終わり]としてしか理解されない。処が実際には、科学を――無論その科学的概念構成を通してであるが――歴史的に進歩させることこそ、方法――科学研究法――の元来の面目ではなかったか。方法の概念は科学的概念構成の基本構造という云わば静態を通って、科学の歴史的進歩の動力として働くという規定にまで拡大されるのでなければ充分でない。
だから例えば、数学は凡て形式論理[#「形式論理」に傍点]による概念構成を基本構造としているから、数学の方法は形式論理のものだなどと結論することは、方法という概念を科学の基本構造という静態としてしか理解しないことであって、実際には、数学の発展は歴史的な弁証法過程をその背後に持っているのである。例えば代数的な量概念は、之によって微積分的な量概念にまで進歩出来たのである。科学の静態的な基本構造と云っていたものは、実はこうした弁証法的――歴史的――発展の結果である一断面に外ならない。数学の方法を数学のこの歴史的進歩という根柢にまで具体化するならば、もはや数学の「方法」は単に形式論理のものだなどと云って片づけることは出来ない*。
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* 数学や又「方法」の上で数学の支配下に立つ自然科学に、イデオロギー性=階級性があるかないかという問題、之はわが国に於ても暫らく前可なり大きな反響を呼び起こした問題であったが、この問題も今の点から原理的に解決出来る。静態――科学の超時間的な基本構造――としては数学は凡て[#「凡て」に傍点]形式論理を方法とする。だが動態――歴史的前進――としては形式論理を方法とするかそれとも又弁証法的論理を方法とするかは一層自由だと云っても好い。と云うのは前者によって数学の新しい領域は恐らく開拓されないだろう、之を開拓し得るためには是非とも後者に依らなければならないだろう。どれが数学の正しい「方法」であるかは、そこで初めて明らかになる。
[#ここで字下げ終わり]
批判主義の科学批判に於ける方法[#「方法」に傍点]の概念は、元々認識の妥当性・論理性・から引き出された。それは「真理」の問題に関わっていた。処が真理とは少くとも科学を歴史的に進歩[#「歴史的に進歩」に傍点]させるものでなくて何であったか。一切の真理は意識の進歩・前進の真理である。真理は進歩の結果であり又原因なのである。それで本当の方法とは外でもない、云わば真理と進歩[#「真理と進歩」に傍点]との相乗積、云い換えれば、所謂「論理」と歴史[#「歴史」に傍点]との相乗積、だと云って好い。――批判主義は科学の方法を併し、単なる「真理」又は「論理」によってしか理解せず、之を歴史的進歩の過程との相乗積に於ては理解しない。科学に於ける「論理」と歴史とはかくて全く絶縁されて了う。だがそういう「論理」は抑々論理ではないのである。
だから批判主義は科学という一つの文化の批判を目的としながら、結局之を歴史的[#「歴史的」に傍点]な存在として、即ち又社会的[#「社会的」に傍点]な存在として、取り扱うことが出来ない。そのことは併し外でもない、之を文化として取り扱い得ないということなのである。批判主義――文化の批判――は文化を文化としては批判し得ない。処でそれをなし遂げ得るものは正にイデオロギー論でなければなるまい。だがその時は文化も亦もはや単なる「文化」ではない、文化とは実はイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]なのであった。
イデオロギー論による文化(イデオロギー)の科学的批判に於ては、まず第一にイデオロギー(文化)がその「論理」と歴史(社会――やがて階級)との相乗積の具体性の下に取り上げられる。それが「イデオロギーの論理学」の問題だったのである。そして之が更に第二に社会に特有な一つの機構の下に――アカデミズムとジャーナリズムとの構造を通って――「イデオロギーの社会学」を自分に結び付けるのであった。
さて科学の批判に就いて今述べたことは、適当な変換の下に、文化一般にそのまま通用する。吾々は芸術に就いて、又宗教に就いて、夫を見ることが出来よう。芸術は芸術的真理と芸術の歴史的階級的発展との二つのモメントの相乗積として、そしてそれが更にアカデミー的芸術(例えば所謂「純粋文学」の如き)とジャーナリズム的芸術(例えば所謂「大衆文学」の如き)との対立連関の状勢の下に、照らし出され得ねばならぬ。宗教も亦宗教的真理と宗教の歴史的階級的消長との統一に於て、そして更に宗教的教壇や大衆的信仰現象の対立連関を通って、吾々の目の前に浮び出て来なければならぬ。
だが今は、科学[#「科学」に傍点]に就いてのイデオロギー論に制限しよう、諸科学の科学的批判に問題を限定するのである。蓋し科学理論は他の一切の文化理論=イデオロギー論の典型だと考えられるからである。
哲学[#「哲学」に傍点]に於けるイデオロギーに就いて。――凡ての哲学は神話[#「神話」に傍点]から発生する。ギリシア神話は例えばホメロスの詩に盛られたが、詩人の物語の整理や批判がギリシア哲学の地盤となった。印度に於けるバラモン哲学・支那に於ける儒教や易哲学・わが国の国学・等々も、夫々の民族の神話から発生したものだと見ることが出来る。神話は併し民族の世界観[#「世界観」に傍点]を云い表わす、だから世界観が哲学の地盤となるわけである。
世界観は無論民族によって夫々異っている。それではこの世界観から発生する哲学も亦、民族によって一つ一つ異らねばならぬ筈ではないか。実際人々はギリシア哲学とか印度哲学とか支那哲学という名を口にする。哲学のこの区別は歴史的事実としてはなる程事実である。だが哲学が単なる世界観と異る点は、それが世界観の合理化[#「合理化」に傍点]されたもの、科学的に組織[#「科学的に組織」に傍点]されたもの、だという処に横たわる。一つの民族にとって合理的に見えても他の民族の眼にも合理的に見えるのでなければ、夫は決して合理的だとは云えまい。だから哲学が単なる世界観ではなくて正に哲学であるためには、その民族的特色[#「民族的特色」に傍点]と云うものが、一つの事実[#「事実」に傍点]としての資格を越えてそれ以上に、哲学の本質[#「本質」に傍点]をなすものだと考えられ
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