ェ準拠すべき規範[#「規範」に傍点]・理想的態度[#「態度」に傍点]としての性格を有っている。だから知的常識[#「知的常識」に傍点]の効用を却けたカントも、趣味判断に於ては美的常識――美的共通感覚(Sensus Communis aestheticus)――に根拠を求めることが出来、またそうせねばならなかった。――日常性はこうした常識が自分自身で持っている原理なのである。常識は他の何かの原理からの脱落や背反ではない、それ自身の原理を有っている。
 ジャーナリズムが日常生活に根を有ち、従って常識的であるということは、ここからもう一遍規定し直されなければならなくなる。もしそうしなければ、一般にジャーナリズムは、多くのアカデミケルが無意味に反覆しているように、何の積極的な価値も有たない処の、一つの不思議な――悪魔と同じに説明し難い――現象でしかなくなるだろう。
 ジャーナリズムの特色は実は、その現実行動性[#「現実行動性」に傍点]・時事性[#「時事性」に傍点](actuality)になければならなかったのである。と云うのは、それは、歴史の上からは現在性[#「現在性」に傍点]として、存在[#「
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