ウも持たないものであるかのように貶されるのを常とする。)
こうした日々の日常生活にその根を有っていたジャーナリズムは、普通世間の人々の平均的な知識・日常的知識と考えられる精神能力によって運ばれる。人々はこの能力を無雑作に常識[#「常識」に傍点]と呼んでいるのである。処で常識にとっては専門的[#「専門的」に傍点]な知識は一応不用であり又時に有害でさえあると考えられる、常識は通俗的[#「通俗的」に傍点]だという意味に於ても、又世間に知れ渡る[#「知れ渡る」に傍点]という意味に於ても、ポピュラー[#「ポピュラー」に傍点]であることが出来る、夫は例えば公衆(Public)によって支持される知識である、とそう人々は考えている。
だが日常性[#「日常性」に傍点]乃至常識[#「常識」に傍点]の概念をこのようなものとしてしか理解しないことは、夫自身之に対する――劣悪な意味での――常識的理解でしかない。常識は一方に於て共通的な・平均された・凡庸な・知識を意味しないのではないが、他方に於て又健全な良識[#「健全な良識」に傍点](ボンサンス)をも意味しているのが事実である。元来常識―― Common s
前へ
次へ
全378ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング