謌黷ノ注意しなければならない。それは人間の日常生活[#「日常生活」に傍点]にその根を有つ処のイデオロギーの一形態乃至一契機なのである。日常生活は、仮にそれが公の生活ではなくて、個人の私的生活であっても、常に何か社会的[#「社会的」に傍点]な生活である。日の光は人間社会の――私的又公的――交渉の一日を開き又閉じる、人々にとっては社会的共通生活[#「社会的共通生活」に傍点]に這入ることによって一日が始まり、この生活から離れることによって一日が終るのである。そこでは私的個人の内部的な[#「内部的な」に傍点]「生」と普通考えられるものは、そのままではもはや殆んど問題になる資格を持てないし、異常なもの[#「異常なもの」に傍点]はこの社会的共通生活から除外されるか又は之によって平均されて了うのである。
(だから、人間の特異な内面性を誇張したり、異常な生の体験に依り処を求めたりすることによって、この社会的共通生活からの脱却を企てる宗教意識にとっては、この日常生活の原理――日常性[#「日常性」に傍点]――は、何か外面的で卑俗[#「外面的で卑俗」に傍点]なものとしか考えられない。それは何等の崇高さも高遠
前へ 次へ
全378ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング